音楽会展覧会雑感

にゃんわんプロジェクトへ

最近、漸く気付いた事だが、新聞雑誌等で大々的に宣伝されている音楽会展覧会が必ずしも評価に値しているわけではないらしい。寧ろ余り喧伝されていない地味な催しの方が、質の高い事がある。
変化の激しいグラン=パレを例にとると,既に何度かこのブログでも取り上げた『フランス千五百年』また『イタリア風景画』等。個展でもピカソやモネほど人気を博さなかった『税関吏ルソー』や『ルドン』なども、いい企画だった。随分昔だが『スルバラン』の会場では、仏蘭西を代表する歴史家ジョルジュ=デュビの静かに佇む姿も見られた。
昨年の『エドワード=ホッパー』は、招待されたので観て来たが、 雑誌の挿絵や映画の広告を思わせる作品群だった。同時開催されていた『ボエーム』のほうが、興味深かった。
この春、パリ=オペラ座、サル=プレイエル、シャトレー劇場の来年度の演目説明会を聴いて来た。オペラ座は、歌劇の作品選択は魅力的だが、どうも舞台監督や演出がーーー。バレーは、現代物や小品が多く、プチパ以来の仏蘭西露西亜両国の優れた伝統が薄れてしまっているようで寂しい。サル=プレイエルは、せっかく新装なったのに、大衆音楽化するそうで、足が遠のくだろう。オペラ座とはまた違った視点でワーグナーの楽劇やリヒャルト=ストラウス、ベリーニ、ドビッシーなどの作品を上演していたシャトレーも近年趣向が変わってしまった。オッフェンバックを初めオペレッタの伝統のある仏蘭西で、何故わざわざコメディーミュージカルなのか。マスネー、ビゼー、ハーン、グノー等仏蘭西の作曲家に限っても、まだまだ知られていない、または、忘れられてしまった名作があるだろうに。
その替わり、美術館や教会での音楽会には、意外な程新しい発見がある。特にクリューニー美術館の中世やルネッサンス音楽会は、充実している。
この秋からは、自分の目と耳で確かめながら、好きになれるものを少しずつ探して行こう。

まわりつつ昇り下りて蝶二匹



東北地震犬猫レスキュー.comborder="0">


にほんブログ村 猫ブログ 猫 海外生活へ
にほんブログ村



カウフマンのワーグナー

丁度一ヶ月ほど前、倫敦フェスチヴァル=ホールで、ヨナス=カウフマンの独唱会を聞いて来た。前半ヴェルディ 後半ワーグナー、どちらも素晴らしい出来だったが、何と言っても、ワーグナーは彼の独壇場だった。プログラムの挨拶にもみられるように、母国の作曲家ワーグナーへの彼の愛情には、並々ならぬものがある。「ワーグナーの音楽を知的とみる人々もいるが、彼の音楽を愛する大多数の人々は、頭ではなく心で愛している」という彼自身、小さな頃からワーグナーを奏でて歌う家族に囲まれて育っている。
同宿して一緒に独唱会に行った友人は、大のカウフマン贔屓。朝起きるなり、「我が父は、パルシファル、我が名は、ローエングリーン」を、聞いていた。
彼が歌うと、ワーグナーの浪漫的な魅力が納得できる。 バリトンの響きとテノールの繊細さを備えた声が、うねるように続く旋律の豊かさを伝えてくれる。 自然な発声が、独逸語の美しさを再発見させてくれる。
せっかく希有なワーグナー歌手が居るのだから、舞台芸術として充分楽しめるような舞台を、いつか観てみたいのだけれど。
最近カウフマンが出たスカラ座の『ローエングリーン』もメッツの『パルシファル』も、演出に恵まれていたとはいえない。有る意味でワーグナーの歌劇程、不当な演出の犠牲になっている作品は少ないかもしれない。巴里オペラ座の『ローエングリーン』『タンホイザー』『トリスタンとイゾルデ』『ラインの黄金四部作』総て、音楽に対する冒涜のような演出だった。(昔みた『彷徨えるオランダ人』だけは、よかった。)
ワーグナー生誕二百年にもかかわらず、巴里では、魅力的な企画が少なかった。
ゲーテ文化館の講演と音楽会が、おそらく一番興味深かったのだが、すでに満席だった。
今、読み直しているプルーストもワーグナーを好きだったらしい。

遅咲きの桜か白く窓の外倫敦郊外バスは揺れつつ

にゃんわんプロジェクトへ


東北地震犬猫レスキュー.comborder="0">


にほんブログ村 猫ブログ 猫 海外生活へ
にほんブログ村



サル=プレイエル

サル=プレイエルの来年度の説明会に招待された。
舞台上で解説したオペラ座と異なり、二階の広間の窓際に席が設けてあった。テレビでも見覚えのある穏やかな笑顔の青年司会者が、進行係を務めた。総監督や指揮者、合唱団指揮者などが、交互に語り、最後に参会者の中から三問質疑応答。全体が4部に分かれて、ほぼ半日。
珈琲や御茶もあり、全体に親近感を抱かせる工夫がされていた。 サル=プレイエルは、ピアノを初めとする諸楽器の独奏会や、室内楽等、また巴里管弦楽団、ラジオ仏蘭西管弦楽団の定期公演の場として、音楽愛好家には、馴染み深い演奏会場である。先年、大規模な改築工事を終え、音響効果も改善され、舞台の後部にも客席が設置された。指揮者の顔が見えると、知人が喜んでいた。
オペラ座やシャンゼリゼ劇場と異なり、純粋の音楽会場。(歌劇は、演奏会形式のみ)。その気取りの無さと、凱旋門からほど近く、而もシャンゼリゼ大通りの賑わいを離れた落着いた環境のため、週の間でも、多くの人が、仕事の後などに音楽を楽しめる場となっていた。
そのサル=プレイエルが、変質してしまうらしい。一年半後には、クラッシック音楽は、シテ=ド=ラ=ミュージックの演奏会場に移ってしまい、現会場は、ジャズや軽音楽専門になるという。
集まった常連の関心は、2013−2014年度の演奏内容よりも、そちらに行っているようだった。 そこに、一種の不安と焦燥を感じたのは、私だけだろうか?
巴里北東の新会場は、遠すぎるという意見には、車で十五分から二十五分という返事。しかし、誰もが車で移動するわけではない。あちらでは、週の間は無理でも、「土曜日や日曜日に子供と一日楽しんで貰える音楽企画がある」との事。「何だか大人の音楽会でなくて、家族連れ向きになってしまうのね」と、独身の知人が呟いた。国際的な音楽家を呼ぶためにも好条件が、必要だそうだが,仏蘭西国内の有望な新人を育て、聴衆に親しんでもらうことも大事だろうにーーー。
何となく首を傾げたくなる情況の中で、間に挟まれた巴里管弦楽団員による演奏は、至福の一時だった。モーツアルト『オーボエと弦楽四重奏』もベートーヴェンの 弦楽四重奏 もヨかったが、特に二曲目ドヴォルザークの 『アメリカ』。遠い故国ボヘミアの渺々たる草原を吹く風を偲んでいるとしか思えなかった。
この人達の演奏を、もうこれまでのように聞く事ができなくなってしまうーーー。ふと楽団員達は、今度の変革をどう受け止めているのか、聞いてみたくなった。
音楽の世界で本当に重要なのは、名曲を残してくれた作曲家と、それを今に聞かせてくれる演奏家なのだからーーー。

桜咲く白く小さく夕闇に紛れてかしこの柵の内にも

にゃんわんプロジェクトへ


東北地震犬猫レスキュー.comborder="0">


にほんブログ村 猫ブログ 猫 海外生活へ
にほんブログ村





プチ=パレ バリトン独唱会

巴里を訪れる知人達に勧める場所の一つが、プチ=パレ。シャンゼリゼ通りの賑わいからも少し離れて、セーヌ河にかかるアレクサンドル三世橋に向かう緑の多い大通り沿いに、グラン=パレと向き合っている。名前の通り小宮殿の趣。乳白色の階段を上がって、高い天井のホールに入ると、正面の硝子越しに中庭が見える。略円形の草木の多い庭を囲む廻廊は、中から入る喫茶店の露台にもなっている。
蒐集品も広い空間にゆったり展示されていて見やすい。ガレやドームの硝子製品や、クールベや シスレー、ボナール等の近代絵画(私の好きな仔猫を抱く画商ヴォーラールの絵もある)。裕福な貴族や有産階級の室内を思わせる展示室に相応しい瀟酒な家具、時計などの調度品。地下にはイコンや聖像も陳列されている。
その地下の会場で、時々お昼に、音楽会が催される。
先日は、独逸の新進バリトン歌手サミュエル=ハッセルホルム、弱冠23歳。子供の頃、教会の合唱団で歌っていたそうだが、ヴィーン少年合唱団の少年がそのまま大きくなったような好青年だった。伴奏は対照的に敏捷な小柄なピエール=イヴ ホデック。曲目は、前半バルベ、ミュスト、ドビッシー。声の豊かさ、一生懸命な歌いぶりはよくわかった。しかし、圧巻は後半シューベルトの歌曲。7曲、劇的、甘美、軽快と変化に富んだ選曲。高音域は美しく、低音域は力強く。 母国語だけに独逸語の美しい響き。自然な身振りと表情、若々しさと完成度を備えていた。 歌手も伴奏者も一曲一曲歌い始める前の集中度の深さ。 聴衆もすっかり引込まれていた。シューベルトは、伴奏もそれ自体名曲で、ホデックも見事だった。
盛大な拍手で、気持ちの良い音楽会だった。
帰り際にふと気付いた。今ではシューベルトは、比較的年配の音楽家が歌ったり演奏する印象があるが、31歳で亡くなったシューベルトの作品を歌ったり演奏した友人達は、まだ若かった。シューベルトの作品に漂う悲しみも喜びも若さゆえのものなのかもしれない。それを、充分味わう事ができた。

水浅葱春めく空を一筋の雲流れいくその素直さよ
にゃんわんプロジェクトへ


東北地震犬猫レスキュー.comborder="0">


にほんブログ村 猫ブログ 猫 海外生活へ
にほんブログ村









巴里オペラ座2013−2014

恒例巴里オペラ座来年度(2013−2014)上演作品紹介が、バスチーユ劇場で催された。歌劇部門とバレー部門を、それぞれ解説。後で、作品の一部を映像で流した。新しく上演される歌劇については指揮者や演出家の会談も、映写された。
バレーについては、典型的な古典の大作がやや少ないように思えた。「眠りの森の美女」一作は、ちょっと寂しい。大好きな『ラ=シルフィード』は、嬉しい。可憐なミリアム=ウード=ブラハムがエトワールになっているから、よく似合うだろう。
もっともヌレエフの特別追悼会に行ったバレー好きの友人達は、やはりバレー団全体に水準が落ちていると嘆いていた。ル=リッシュも引退する。ここ十年間の人材登用の問題が表面化しているようだ。
しかし、作品も演出もいいから、美しい舞台を楽しむ一時は、保証されている。
それに反して、歌劇の方は、あいも変わらず舞台監督演出家の横暴。作品の選択には、文句なし。ベリーニを二作『清教徒』『カプレチ家とモンテッチ家』を上演してくれる。プッチーニの『西部の娘』は、初めて。『ルチア』『トリスタンとイゾルデ』は、好きな作品だが、前回はほとんど眼を閉じて聴いていた。歌手が優秀なだけに残念だった。『魔笛』『アイーダ』『清教徒』等の新しい演出も写真を見る限りでは、期待できない。
作品を規定する時と場所を無視しようとしている。背景となる歴史要素を排除して、現代か、もしくは抽象的な世界に持って行こうとしている.何故だろう?西欧の歴史文化を否定したいのだろうか?その豊かさに嫉妬しているのだろうか?個々の特色を消して、わけのわからないものにしてしまうのが普遍性だと思っているのだろうか?むしろ各々の特色を掘りさげてこそ、不変のものに達する事ができるのに。
そういえば、学校教育でもフランス革命以前は駆け足で通り過ぎてしまうという。自国の正しい歴史を知らず大衆報道の歪んだ歴史観で洗脳されてしまうのだろうか?
更に、敢えて醜悪に暴力的な演出となっている。美に対する敵意のようなものさえ感じられる。
慄然とせざるをえない。
そうそうたる歌手達が招聘されているだけに、惜しい。
多分、既に何度か観て失望していない『ラ=ボエーム』や『ウェルテル』、舞台がルレエフ振付けの『ロメオとッジュリエット』を思わせる『カプレチ家とモンテッチ家』等を考えている。

老人と 老い犬休む 辛夷かな

にゃんわんプロジェクトへ


東北地震犬猫レスキュー.comborder="0">


にほんブログ村 猫ブログ 猫 海外生活へ
にほんブログ村





Profil

桐の葉も

Author:桐の葉も
Bienvenu à FC2 Blog !

Derniers articles
Archives mensuelles
Catégories
Recherche
Lien