『大原新雪』向井潤吉

メールが普及してから、戸口まで郵便物を運んでくれる管理人さんの足音が遠ざかっても、急いで扉を開けてみる事をしなくなった。おおかた、宣伝や公共料金の通知だから。
それが、今朝は、一枚の絵葉書。向井潤吉『大原新雪』。大原は、老母(と呼んでももう怒られないだろう。84歳になった。)が入っている寮から、それほど遠くない。元気な頃の母を知っている送り主の心遣いだろう。
1981年。画伯80歳の作品。『民家の画家』の名の通り、藁葺き屋根の一軒家。純白の雪が、周囲の野辺や畑にも、斑に積もっている。それほど深くはないらしい。雪の後の青空に白い雲、冬枯れの木立の茶色、意外と多い雑草の緑。灌木らしい茂みに、赤く見えるのは、花だろうか、実だろうか。
当時私も、まだ洛北にいたから、この同じ雪を見たのかもしれない。
印刷となると色調や光沢が微妙に変わってしまうのは常の事。実物とは、いささか異なっているのだろう。それにしても、絵葉書の画面は、不思議な華やぎに満ちている。静かで明るい。 透き通った凛冽の気が、伝わって来るようだ。
向井潤吉は、亡父の好きな画家だった。地味で堅実で丁寧な仕事ぶりに惹かれていたのは、自身の科学系の研究者としての姿勢に通うものがあったからかもしれない。
この一枚の絵葉書は、暫く栞代わりに読みかけの本に挟んでおこう。

薄雲に隠れし冬の昼の月





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日曜日のギメ美術館

仏蘭西では、月の第一日曜日に、国立美術館常設展が無料となる。私は、大体クリューニー美術館かギメ美術館に行く事にしている。
ギメ東洋美術館は、セーヌ河からシャンゼリゼやトロカデロに向かう斜面の中腹、大小七本の道の集まるイエナ広場に面している。辺りは、重厚な石造りの建物の並ぶ住宅街、近くにはガリレア衣装美術館や独逸ゲーテ会館もあり、知的で落着いた一角。広場を横切る大通りの並木は、冬枯れの今も、青葉の茂る春から夏にかけても、落葉の散り敷く秋も、四季を通じて風情を添えて居る。
階段を上がって入る美術館の中も、一部吹き抜けとなっており、明るく広々している。蒐集品は、中東から印度、東南アジア、中国、極東韓国、日本まで。そのためか、日本人観光客はあまり見掛けないが、巴里に住む者にとっては、故国の美術に触れ、心和む一時を過ごす事の出来る貴重な場所の一つ。また、日本にいては意外と眼にする機会の少なかった隣国韓国や中国の美術品も、常時体系的に展示されていて、興味深い。収蔵品が膨大で、常設展でも展示換えが多いのも魅力の一つである。
今回は、まず二階円形室の「浮世絵の色」展へ。役者の舞台姿や風俗画など。色刷りもあれば、白黒もある。例によって着物の細やかで斬新な意匠に感心し、仕草の優美さに我が身を反省しーーー。熱心に写生している若者もいた。猫もいた。『猫と戯れる女図』長陽堂安知。墨刷絵大大半。1711−1716。鉄線らしい模様の着物をまとった立ち姿の美女が持つ紐を首につけられた黒白仔猫は、全く戯れたくなさそうに正面を見ている。
そのまま日本美術部に入る。大きな三十六歌仙絵。紙本彩色。17−18世紀とある。折り畳み冊子のようになっている。蝉丸太夫、敦忠、など馴染みの名前だ。斎宮女御は、やはり几帳に半身隠している。和泉式部は、「花の色はーーー」。
実は、三十六歌仙絵の抹茶茶碗を持って居る。歌留多のように絵札や字札に歌が書いてある。それが重なりあっているので全部は見えないが、斎宮女御は、前に出ている。几帳に隠れて黒髪だけの後ろ姿だけれど。お正月やお雛様の頃に使うことが多い。
静かな早春の日曜日、今日は、久しぶりに出してみようか。

雲間より春の陽射しのおずおずと差しそむ人無き角のバス停


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『古代支那の至宝、青銅祭祀器』展

ギメ美術館『古代支那の至宝、メイインタン所蔵青銅祭祀器』は、或る意味で特殊な興味を催す企画だった。一般には、さして話題にならなかったようだが、反面、普段あまり美術展に行かない人達も熱心に観ていた。
一つには、紀元前千四百年(殷)から西暦前後に渡る考古学の分野でもあるからだろう。この時の重みと深さとは、やや薄暗い会場に入るなり、感じられた。
門外不出の個人蔵であったことも、神秘性を増しているのかもしれない。これだけ古い時代であれば、真贋問題もあったろう。
しかし、展示物を前にすると、まず、その美しさに打たれた。思ったより小振りだった。しかし、稚拙さは無い。精密だ。三本足の鼎が、目立ったが、他にも酒、穀物、肉等用途別に工夫された大小さまざまな形態の器が並んでいた。
展示は、教育的な配慮もされていた。順路は、主題別だが、地域別時代別の図表が掲げてある。祭壇に捧げられた状態も、再現してあった。
説明は、歴史的な推移のみならず、技術面にも詳しかった。いろいろ知らない事ばかりだった。まず、これらの器が、型によって、作られている事。打ち出しで作る中近東の青銅器とは、全く別の技法である。その大規模な工房跡が、発掘されたそうである。また、銅が地域によって異なり、それが器の色にも現れている事。銅、鉛、亜鉛の配合の違い、熔解温度の困難等等。科学の知識があれば一層面白かったろう。
装飾面では、何と言って実在想像上の動物達が、微笑ましかった。龍、虎、鳥、鹿、梟、羊など。その呪術的な意味を聴くと、益々感興が深くなる。中でも,二匹の蛇に挟まれた蛙の把手には、驚いた。
その他、車付きの化粧箱、逆さまにすると皿になる蓋など、巧みな意匠が、随所に施されている。
今回も、亜細亜関係の美術を解説してくれる友人と一緒だった。特に二度目は、個人的に同行してくれた。ただ感覚的に眺めていては、見逃してしまう肝心な点を説明してもらえてよかった。

薄曇り夏の夕べの鐘の音をよそに鳴きをり森鳩一羽


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ランス新ルーヴル美術館

仏蘭西人にとりRとLの音は、全く別で間違える事は、あり得ないらしい。ところが、日本人の最も苦手とするのがこの二音。少なくとも私は、未だに『倫敦のL、羅馬のR』と確かめて、M氏の絶望と憐憫の元となっている。
新ルーヴル美術館があるランスはLで、大聖堂で有名なRのランスとは、巴里からの方角も、町の規模も歴史も異なる。葡萄畑が続き文化芸術に恵まれたシャンパーニュ地方に対し、ベルギーとの国境近い北仏の一角は、寧ろ貧しい土地柄らしい。
野原の真中のような駅について、まず驚いた。西部劇で蒸気機関車の到着する場面を思い出した。何となく愉快になった。送迎バスが抜ける家並みも低くつましく,赤煉瓦が多い。どことなく郊外住宅地の外れという風情の一角で、バスが止まった。
まだ整備中の庭の向こうの銀色に光を反射している平屋建ての細長い建物。倉庫かと思ったら美術館だった。
中も無機質に広々している。日本の近現代美術館を髣髴させるのは、王宮や城館等、建物自体に歴史的価値があるわけではなく、展示するという機能性を目的としているからだろう。
「『時の廻廊』は、おもしろいわよ。全然概念がちがうの」
ルーヴル美術学校出の知人が、予め教えてくれていた。なるほど。エジプトの猫の姿をした女神バチスタから、『民衆を導く自由の女神』まで、見通す事ができる。それも一直線ではなく周辺部を充分考慮にいれて、欧羅巴各地、イスラム美術まで配慮してある。『聖セバスチアン』のように見知っている物もあれば、ピラミッドに埋葬されていたらしい小像群を初め知らない作品も多かった。
特別展はレンブラントと彼の同世代画家による欧羅巴王侯貴族の肖像画展。各国の多くの国王やその家族が、他国とも親戚姻戚関係で結ばれていた時代である。生涯の一時期しか表していない肖像画とはいえ、その背後の歴史的事件を想像しながら観て行く事は楽しい。実は、レンブラントはあまり好きな画家ではないのだけれどーーー。
外から観ただけでは、さほど見栄えのしない、大きくもない建物の中に、歴史と文化の遺産が豊かに詰まっている。まだ若木のような庭木が生長したら、緑に囲まれた公園美術館となることだろう。

金雀枝の華やぎ愛ずる旅こころ

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アミアンの大聖堂

巴里北駅周辺に行く機会は殆どないが、この四月から六月にかけて、四回同駅発の電車に乗った。ユーロスターで倫敦に二回、アミアンとランス(Lの方)に一回ずつ。
倫敦へは,所用で行ったので往復路とも、車窓の景色を楽しむゆとりがなかった。
五月下旬のアミアン、六月初めのランス行きは、両日とも曇り空だったが、延々と続く牧草地や遠近の森の木立の深い緑、未だ青い麦畑や、明るい黄色の菜の花畑、沿線の白い卯の花や野茨、黄金色の金雀枝などが、目に鮮やかだった。
アミアンの大聖堂は、この冬のコレージュ=ド=フランスの講義を聴講して以来縁のあるプルーストをめぐる旅の一環ともいえる。著者が傾倒した美術史家ラスキンが絶賛したゴシック美術の粋。何故か、今まで訪れる機会がなかった。
巴里のノートル=ダムは勿論、田舎の家に近いブールジュ、何度も訪れたルーアン、ストラスブルク、ランス(Rの方)、三月にイリエ=コンブレーを訪れた際通過して再会したシャルトル等々。敢えて観光というほどでもなく、親しんでいたのに。巴里から電車で一時間強のこの大聖堂は,見逃していた。
近代的な、どこかさっぱりとした家並みを通って大伽藍の後ろ側から近づいていく。駐車場などがある。そこから角を曲がって正面の広場にでるとーーー。
ともかく高い。現存大伽藍で随一だと言う。そして、美しい。
「凍れる音楽」というが、上に上に伸びて行く二つの塔も、反対に緻密に刻み込まれた浮き彫りも、総てに快い調和がとれている。
朝一番であったこともあり、内部も深閑としている。人影は少なく、寂然と木漏れ日の差す森の広場にはいっていくようだ。
薔薇窓、色玻璃硝子、多彩な彫刻や浮き彫り等、見所も多い。歴代の王も巡礼参拝したという洗礼者ヨハネの首級には、ちょっと畏れをなしてしまったが。
印象に残ったのは、『泣きじゃくる天使』。祭壇の裏側、少し見上げる位置に腰掛け死者を嘆いている。目も口もゆがめて、顔をくしゃくしゃにして、身もよもないと言う風に哭いている。第一次世界大戦のおりに、蓚酸を極めた戦地の兵士達に送られた絵葉書で有名になったそうだ。コレージュ=ド=フランスのコンパニョン教授の講義も『プルースト1913年』。その翌年からの大戦で、作品中のサン=ルー同様、著者の多くの友人が戦死する。堀田善衛の『美しきもの見し人は』の中に、ランスの有名な『微笑みの天使』等は、近在の農家の三姉妹を写したものだろうという愉しい推測があった。その伝でいくと、アミアンの大聖堂の『黄金の聖母』も、あどけない微笑みをうかべている近在の農家のうら若い母親なのかもしれない。そして彼女の遠い子孫達も、戦場に散っていったのだろう。
アミアンの大聖堂は、十三世紀には、すでに形作られていたという。偶々、講読雑誌『スペクタル=ド=モンド』の特集が大聖堂だった。
その豊かで深い歴史背景、工夫に富んだ精緻な建築技術、一石一石築き上げ装飾をほどこしていった有名無名の職人達、そして今現在もその保存修復に携わる専門の職人達の記事がでていた。
アミアン行きは、長い時の流れを経たもののみのもつ貴さに触れる事の出来た幸せな一時だった。

朝曇り空も静かな塔のはて見上げし母と子も幾たりか

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