『わたしの百人一首』白洲正子

六人兄弟の母は、子供時代、毎年お正月に歌留多取りをしたそうである。祖母が、詠み手。娘時代、某子爵家に行儀見習いにやらされていた祖母は、その家で、お正月ともなると歌留多の詠み手に指名された。「声が大きくて、元気だったからでしょうね。大人数で、二百枚よまされたそうよ」と、母。
百首を暗記していた母は、折りに触れてふと口にすることがあった。かつての宝塚の生徒たちの芸名が百人一首からとられていることも教えてくれた。
天津乙女、有馬稲子、霧立のぼる等。
そのためか、百人一首は何となく身近な存在だった。『百人一首一夕話』から「国文学、解釈と観賞」の別冊まで,探すと言うのでもないが、眼に入ると買っておいた。
白洲正子の『わたしの百人一首』も、そうした一冊。著者の思い入れのある絵入りの札が、図版としてはいっている。歌人の伝記、創作の背景経過など、手際よくまとめてある。すでに知っている話がほとんどだが、端切のよい文体は、目の前で解説してもらっているようで、快い。鋭敏な著者の感性が随所にあらわrているのは勿論の事。今迄とは、違った解釈もあったし、私には、意外な感想もあった。それも、また楽しかった。式子内親王は、他にもいい御歌が沢山あり、「玉の緒よ」はそれほど好きではないのだが、御能「定家」と結びつけた解釈は、やはり著者らしい。私の一番好きな歌人藤原良経には、あまり詳しい評がないのが、本の少し心残りだった。
読者それぞれが百人一首の歌に思い入れをもっていることにより、一層楽しめる好著だろう。

扇風機微風して待つ日暮れ時

『二都物語』(ディッケンズ)

ノートル=ダム大聖堂を対岸に望むセーヌ河畔の英書専門の老舗。昔ながらの暗い店内には、書棚が所狭しと並び、はみ出した本が、積み上げてある。古書も新書もある。往年、近くに住んでいた森有正氏も、屢々訪れたことだろう。
もう数年前、何の折りにか立ち寄った。欲しい本があった筈だが、見つからなかった。それで手頃な読み物でもと、店先の古本を眺めていた。ペンギン版『二都物語』。さして興味があるわけでもなかったが、まあ、名作だからと、買っておいた。それをこの夏、田舎用の本の箱に入れてきた。 最近数回、倫敦に行く機会があったので、何となく書棚から手にしたらしい。
子供の頃、縮小版で読んだようにも思うが、全く覚えていない。
所謂少年少女向けの名作全集は、一長一短があるようだ。読書の楽しみを覚え、その幅が広くなるのは有益だが、あくまでも子供向けに改められているので、それだけを読んで終ってしまうと、原作の深い味わいを知らずに過ごしてしまう。
仏蘭西革命を背景にした『二都物語』は、波瀾万丈、次から次へと事件や謎が続き、鎖のように繋がっているので、筋だけ追っていても子供には、充分楽しいだろう。しかし、苦労人ディケンズの代表作といわれる真の価値は、大人になってからでないとわからないのではないだろうか?
例えば、ルーシーに捧げるシドニー=カルトンの至純の愛。その意味と類い稀さは、有る程度人生経験があって、初めて理解できる。それだけに、彼は、登場場面が少ないにもかかわらず、最も印象に残る。やはり、主人公だ。小説を読んで息を殺し涙を流す事は、最近あまり無かったが、今回は最後が近づくにつれて、彼一人に引込まれてしまった。たまたま巴里から田舎に帰る電車の中で読んでいたから、他人に見られたら、ちょっと恥ずかしかったろう。幸い、乗客は少なかったけれど。
もう一つ、変革期を舞台に多くの登場人物が出て来るにも関わらず、作者は、二十年程の時の流れを、その一人一人に当てはめて描いている。初々しい少女が妻となり母と成る。一度は廃人同様に至った優秀な医師が、その痕跡とともに生きて行く。仕事一途の忠実な友が、終生変わらぬ誠実さを保ちつつ老いを迎える。長い歳月をひたすら復讐のために生きた女は、最初の目立たない端役から一挙に重要性を増す。この歳月とともに変わる部分と変わらない部分とを持つ人の姿も、自分が年を重ねてこそ実感できる。
反復の多い、独特の文体は、大衆小説風なのだろうか。よくわからない。
読みやすくもあり、気にもなる。しかし、奔流のようにその中に呑み込まれていた夏の一時は、いい思い出となった。

鎧戸の破れし売り家の庭先の紅薔薇一輪細き枝先


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『ユルスナールの靴』(須賀敦子)

須賀敦子に『ユルスナールの靴』という作品があると、新聞の文芸欄で知り読みたいと思っていた。僅か数行だったので、内容は勿論、随筆か評論か、長短さえもわからなかった。しかし、私自身が深い感銘を受けた『ハドリアヌス帝の回想』の著者の名が出ている限りは、彼女に関する文章だろうと想像していた。
その後湯川豊『須賀敦子を読む』により、読書と自身の追憶を緊密に交錯させた「織物」のような作品と知り、益々興味をそそられた。
実際に読んでみると、まさに綴れ織。ユルスナールの作品と制作過程とが経(たていと)、著者の経験と考察とが緯(よこいと)。さらに、ちょうど部分部分を仕上げながら大きな綴織り壁掛けを完成するように、一章一章に主題があり、全体として二人の人生経路と精神遍歴が見えて来るように、構成されている。
ただし、その二重に深い思索の跡を充分味わうためには、二人の作品を熟読しておかなければならないだろう。私は、まだ両者の全作品の一部しか読んでいない。今後、読み進むにつれて、一層よく理解できるようになるのでは、と楽しみにしている。
ただ、今回は、ごく何げない細部に「あっ」と、小さく息を呑む所があった。
例えば、銀器。ユルスナールは、子供の頃から使っていた銀器が手元に戻って来て、ほっとしているし、須賀敦子は銀器を巡る知人達の思い出を記している。私も、それほど上等ではないが、銀器を日常使っている。一人っ子だったM氏が、祖母や母、伯母から譲られた品々。最初は勿体なくて、仕舞ってあった。しかし、よく考えてみると、これほど多くの客を招く事はありえない。色々混ざっていて、全部揃っている訳でもない。一部を残して普段使いにした。手触り、重さ、口にあたる感触が違う。同じ物でも美味しく感じられる。
また、リネン織りの敷布。天使猫亜子ちゃんは、生後まもなく貰われて来た晩から、息を引き取るまで、綿麻混紡か、麻の真っ白な、刺繍入りの敷布で寝ていた。これも、M氏の祖母や母親が結婚の為に準備したもの。特に手先の器用な母親は、頭文字を入れ、カットワークやドロンワークを施している。さらに、敷布食卓布専用戸棚の一番下の段には、未晒しのような薄茶灰色の厚手の布が、折り目の色も変わったまま、沢山積んである。「1914年、戦争になったら娘達の結婚支度の布がなくなってしまうと、祖母が買い集めたものです。」と、M氏。まさに『リネンの文化』である。
その麻の繊維をとる亜麻の花を、おもいがけず、つい最近目にすることができた。日本の麻とは、全く違う植物だ。本の数輪、確かに美しい青紫色の可憐な花だった。
どちらもごく些細なことだが、文字で読む事柄が、感覚の記憶を通して伝わってくるようで嬉しかった。
一気に読み上げたハドリアヌスとは反対に、遅々として進まない『黒の過程』を読み終えたら、またこの本に戻ってこよう。

扇風機弱めて猫の昼寝かな


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『新十八史略』(駒田信二)他

『古代支那青銅祭祀器』展に触発され、最近偶々手に入った中国史関係の本を繙く。まず『宦官物語』(寺尾善雄)。中国文化通の師が、「気持ち悪くなるかもしれないけれど」と、貸してくれた。実際、夜などは読まない方がよかった。幼帝殺しを初め陰湿残虐な権力争いを起すこの制度が、延々四千年間続き、清朝末期にもその最も過激な形の一つではびこっていたとはーーー。律令を初め中国を模倣した日本が、宦官制度を取り入れなかったのは、幸せだった。
ついで『新十八史略』全六巻。駒田信二、常石茂を初め錚々たる学者が、執筆編集に携わっている。各章が分担されているから、それぞれ個性がでているのかもしれないが、全体には中庸を守った記述で統一されていて読みやすい。神話時代から元までを取り上げている。ここでも、宦官と外戚、官人による宮廷内外の権謀術策は蓚酸を極める。さらに外敵、侵略征服等も加わり規模が大きくなっている。王朝興亡の政治史が主だが、 学校でよくとりあげる時代に挟まれた、周代や春秋戦国、南北六朝、五代十国が、詳しく説明されていてよかった。
六朝や唐代では、文学、特に漢詩も扱われていて、ほっとする。漢代からの西域、東西交流は、井上靖や岩村忍を読みふけった頃を思い出させる。
八月に三周忌を迎える夭折した猫好きブログさんが、曹操贔屓だと、書いていた。それで、特に三国時代は、興味深く読んだ。 昔読んだ子供向けの『三国志』は、すっかり忘れてしまっていた。その登場人物については、『三国志の世界』(駒田信二責任編集)。 曹操 は、読書家の彼女が好きなだけあって、文人としても優れていた そうだ。班固三兄妹、書画でおなじみの竹林の七賢などもとりあげられていた。『諸葛孔明』(植村清二)は、広く孔明の生きた時代背景を扱っていて、歴史書としても充実している。敵役 曹操父子にも筆を割いている。赤壁の戦や『三国志の世界』では、少々感情的すぎるのではないかと思った曹丕 曹植、また英雄視されやすい劉備関羽張飛についても常に中正を保つ冷静な叙述である。
歴史の残酷な面をとりあげれば、古今東西切りがない。科学の発達した現代史の方が、実は更に恐ろしいとも言える。
少なくとも中華歴朝は、その想像を絶する長い歴史の間に、多彩で豊かな文化を生み出して来た。亡父遺愛の『中国詩人選集』から『曹植』や『王安石』『蘇軾』を取り出す。彼らも、変転きわまりない中国史の渦中に生きた人人である。

一雨の 来るかと紫陽花 いろ淡く

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『忘れ得ぬ芸術家たち』(井上靖)

「御借りしている谷崎源氏の挿絵を描いている前田青邨の話がでていたので。」
と、知人が貸してくれた『忘れ得ぬ芸術家達』。ゆったりとした笑顔とともに、豊かな知識が溢れ出ているのに,いつもちょっとはにかんだ風に小首を傾げて話し始める彼女から教えられた本は、もう随分の数になる。
井上靖が大阪毎日新聞の美術欄担当記者であった事は、よく知られている。何かで美術工芸品のような作品を書きたいと、いうような意味の文を読んだ事もある。この心構えが、完成度の高い彫琢された作品を生み出す秘訣なのかもしれない。
著者が、直接間接に見聞きした芸術家の肖像が主体であるが、その内容は多彩である。中でも、実際に親炙した河合寛次郎と、反対に故人の身近に仕えた人々を通して語られる岡倉天心の肖像は、心に残る。これまであまり関心がなかった両人について改めて知りたくなった。特に寛次郎は、京都に住みながら縁がなかった。五条坂の賑わいをつい敬遠してしまっていたが、次回帰国のおりには、訪ねてみよう。反対によく訪れた白沙村荘の主橋本関雪の知られざる一面に驚いたりもした。そういえば、銀閣寺近くの関雪旧邸の奥深い木立に囲まれた緑池の鯉に麩を投げ与えた事など、懐かしい。
昭和の美術史上重要な法隆寺壁画模写、正倉院御物展覧会の裏話なども、何度か通った奈良のひやりと澄んだ秋の気を蘇らせる。
さして厚くない文庫本だが、読み終えると著者の敬愛する芸術家の生き方、芸術の在り方が明らかになってくる。前田青邨もそうだが、須田国太郎、坂本繁二郎等。その表現は異なっても、じっくりと腰を据え、自己に忠実な真摯な姿勢で一貫している。浮薄軽軽拙速、騒々しさからは遠く隔たっている。
以前、著者による手仕事をめぐる随筆集『きれい寂び』からも、同じ印象を受けた。
ここでは、美術だけだが、文学音楽、総ての芸術に通じるある価値観が、静かに語られている。

夏椿 散り敷き未だ 暮れやらず

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