『ローランス画伯の肖像』(鹿子木猛郎)


(承前 ジャン=ポール=ローランス)
「森鴎外の歴史小説」と書いて、ふと思い出した。鷗外が独逸に留学していた頃、画学生達も西欧に渡航し学んでいた。鷗外自身、『靴屋の親父』で印象的な原田直次郎等と親しく交際していた。
誰かジャン=ポール=ローランスを知っている当時の日本人画家はいないだろうか?M氏の蔵書の本棚を開ける。小学館図説日本史大系。残念ながら全巻揃っていないが、氏の専門に関係する明治時代は、ある。
大きく厚くしっかりした作りで、色刷り黒白の写真や図版が多くその説明が丁寧なことは勿論、本文も読みでがある。全体に一昔前の出版物の持っていた落着いた香気が感じられる。
さて、ジャン=ポール=ローランス。中村不折や鹿子木孟郎等が、師事していたとある。 鹿子木描く『ローランス画伯の肖像』。やや狷介な表情が、ローランス自画像とよく似ている。また、画家の肖像でありながら、画室の中ではなく、肘掛け椅子で読書に耽る姿が、博覧強記教養豊かだった師の面影を伝えている。ゆったりと組んだ足下に一匹、やや大きめの犬が踞って寝ている。その犬が何となく気難しそうな主人に似ているようで、微笑ましい。
中村不折の『建国そう業』の絵は、歴史画を得意としたローランスの影響らしい。そういえば彼は、 鷗外自身の指名でその墓碑銘を書くほど親しかった。
『従兄弟ゴートレ』の御陰で、思いがけず官学派の教えを受けた我が国明治時代の洋画家の作品を見る事となった。
これまであまり関心の無かった事が、恥ずかしい。
印象派に押され本国仏蘭西でも、顧みられる事が少ない官学派だが、正確で美しい線や形の静かな魅力、その主題に喚起される歴史背景や文学など、なかなか興味深いものがあるようだ。

雨はれて樅の梢のその先にに百舌啼く朝(あした)休みの終わり


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ジャン=ポールローランス

『従兄弟ゴートレ』の御陰で、これまで名前を聞いた事もなかった画家達にも、興味を抱くようになった。
何時の頃からか、二階の一隅に古い額縁や肖像写真、誰の作品ともわからぬ油絵等とともに、数枚の版画が置いてある。おそらく『従兄弟ゴートレ』から譲られたものであろう。「あれは、好きです。」と、M氏が言ったのは、『教皇と大審問官』ジャン=ポール=ローランス、シャルル=ジロー版画、と別紙が添えてある一枚。落款は押してあるが、額には入っていない。残念ながら、輪型の染みもある。
広い石造りの宮殿風の室内。 がらんとした空間の画面中央を占める二人。教皇は、高い背もたれの椅子に腰かけて、少し身を乗り出すようにしてはいるが、横顔のためだろうか、どこか不透明で複雑さを隠した表情を伺わせる。彼が傾聴しているらしい大審問官が、骨張った長い猛禽類の爪を思わせる指先で示しているのは、異端として処刑されるべき人々であろうか。『カラマーゾフの兄弟』の挿話をおもいださせる頭巾に半ば覆われたその細長い強い意志を表す無機質な顔も、猛禽に似ている。こけた頬、尖った鼻、薄い口元。総てが陰険で酷薄な本性を表している。その緻密、正確無比な描写が醸し出す静寂そのものの画面から、凍りつくような冷気が、吹き付けて来るようだ。さらに見つめていると、蓚酸を極める宗教裁判が、その焚火の煙が、処刑者の叫び声が、背後に感じられる。
色彩に頼る事のできない黒白の版画でありながら、これほどの凝縮した緊迫感を伝えられるのは、原画の卓越した形体を捉える力と構成のためだろう。
あまり期待しないでネットで調べてみる。
自画像の写真入りで数頁に渡って出て来た。代表作の色刷り図版まで付いている。
無名の画家にしては、と思ったのは、全く私の無知のなすところで、実は、官学派の代表人物であった。恥ずかしい。
1838年生誕1921年没とあるから、19世紀後半から20世紀初めにかけて活躍した、まさに『従兄弟ゴートレ』の時代。歴史画を得意としたと、ある。『教皇と大審問官』は、別名『シクスティス四世とトルケマダ』とある。反聖職者主義を標榜した画家らしい。『カトーの死』『ロベール敬虔王の破門』『ティベールの死』等々。殊に劇的な場面を精密に静謐に描いているからこそ、一層悲劇性がたかまってくる。
ふと森鴎外の歴史小説『阿部一族』『堺事件』『最後の一句』などを思い出した。

一日を降らず降りずみ曇り空夢見るごとく暮るる秋の日


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海辺の画家達

『従兄弟ゴートレ』の革製写真帳の最後の方に、学士院の礼服を着し、首元にも胸にも勲章を全部で四つつけた老紳士の上半身肖像写真がある。細い金縁眼鏡をかけ、顎髭も頰髭も白い。謹厳実直、温厚篤実そうな顔立ち。『ジュール=ブルトン、1827年5月1日、クールエ、1906年7月5日、巴里』とある。
同じ頁に絵葉書が挟んである。黒白写真。海の絵を描いたらしい油絵の一部を前に、 晩年のモネやルノワールを髣髴させる老人が腰掛けている。顔を半ば覆う髭も蓬髪も真っ白く、好々爺といってもいい恰幅だが、やや斜めを向いた瞳は炯々と鋭い。
背後に寄り添う初老の婦人も、こちらを向いた整った顔立ちの中で、やや切れ長の瞳が印象的だ。厚地の幄が上からさがり重厚な括り紐の飾りが付いている。
裏を返すと『親愛なるゴートレ氏』の書き出しで、氏の依頼に応え、画室で撮った一番新しい写真を送る、とある。1927年の日付、ウイサン発、ドモン、ヴィルジニー=ドモン=ブルトン。
最近便利なネットで調べる。
ジュール=ブルトンは、19世紀後半名声を博した画家で詩人。ネットの写真は、63歳の時で、額から後ろにやった顎程の長髪も、写真帳の正装の晩年より遥かに芸術家らしい。ヴィルジニーは、その娘。彼女も、女流画家として、早くから知られている。前髪の巻毛を二房ほど垂らした若い頃の写真を見ると、なかなか理知的な美人である。やはり画家である叔父エミール=ブルトンとカミーユ=コローの弟子であったアドリアン=ドモンと結婚する。ウイサンは、二人が居を定めたパ=ド=カレ県オパール海岸、仏蘭西の北の外れの海辺の村である。画家夫妻が、ここに建てた新エジプト風の住居兼画室は、19世紀末から20世紀初頭にかけて芸術家仲間のたまり場となった。ジュール=ブルトン以来の農民達の日々の営みに、土地柄漁師達の生活、風景等を精密に描く一派は、自然派とも写実派ともいえるかもしれない。
彼らと、仏蘭西国営鉄道に勤めていた『従兄弟ゴートレ』オーギュスタンは、どうして知り合ったのだろう。ヴィルジニーの従兄弟ジュール=ルイ=ブルトンは、オーギュスタンの出身ロワレ県の隣、シェール県から出馬して議員と成り、上院に入り、更に大臣となっている。何らかの関係があるのだろうか?
先年、公証人から届けられた『従兄弟ゴートレ』の遺産分配の中で、数点の絵画がアラス美術館に寄贈されている。ドモン=ブルトン夫妻の周囲の画家達の中には、ノルマンディー出身者がおり、ジュール、アドリアン、ヴィルジニーの作品も、この美術館の所有と成っている。この辺りに、仏蘭西中部で生まれ、オーヴェルニュのクレーール=モンフェランに住んだ『従兄弟ゴートレ』をアラスに結びつける鍵があるのかもしれない。まだ、よくわからない。
ともかく、アドリアンの逝去の前年、夫妻揃っての写真は暖かな言葉とともに、家族のいないオーギュスタンを喜ばせたことだろう。

海鳴りをしのびてソローニュ秋疾風


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『従兄弟G***』(三)

(承前)
地方では、公証人が重要な役割を果たす。結婚、離婚、不動産売買や遺産相続の記録が主な仕事だからだ。『従兄弟G***』の遺産分配が、A町の公証人事務所で行われたことがわかったので、その資料を昨年夏の終わりに公証人B先生に依頼した。(前述)
冬の間、30枚近い手書きの資料が巴里に送られてきた。
それによると、『従兄弟G***』ことオーガスト=エミール G***(何やら立派な名前だ。)は、1846年2月26日ロワレ県B***で生まれ、1931年7月8日20時にクレールモンフェランの自宅で亡くなった。享年85歳。両親は、ジャン=ピエール G***とマルガリータ=ヴィルジニー P***。二人は1844年2月27日に結婚している(日本では、江戸時代の末)。
但し、『従兄弟G***』と、その相続人の一人となったM氏の祖母マリー、より正確には、その母親(旧姓G***)の関係は、まだわからない。G***というのは、非常に稀な苗字であるらしい。マリーの生家のあるC村にもう一人(もしくは二人)G ***氏がいて、彼はスザンヌ=V***と結婚している。スザンヌは、マリーの祖母の名前でもある。同一人物だろうか?このG***氏とジャン=ピエールG***の繋がりが判れば、よいがーーー。
細かい字で隙間無く書いてある資料を読み解くには、時間がかかりそうだが、もう一つ眺めていても楽しい資料もある。
田舎の家の書棚に見つけた写真帳。厚手の本かと見まごうばかりに、大きく豪華。金の唐草模様の入った革の表紙、留め金付き、見返りも金の入った装飾紙。全部で十六枚の頁は、金で縁取られ、袋状になっている。 窓が開けてあり、写真を差し込むようになっている。一頁に大型なら一枚、小型なら二枚。あまり多くは収納できない。全部で三十枚ほど。
「これは、『従兄弟G***』からに違いない」と、M氏。
中の一枚は、おそらく二十代の彼だろう。山犬のように膨らませた髪の毛、眼光鋭く剣呑といっていい表情をしている。
主に中上流階級らしい紳士淑女の肖像写真、芝居めいた扮装をしているものもある。
ただし、明らかに農村の人々と判る写真も入っている。大都会で芸術家仲間と交際しながらも、根は、ロワール河周辺の田舎にあった、彼の二つの世界を示しているようだ。
今夏も、この風変わりな美術蒐集家の足跡を少しづつ、調べるのを楽しみにしている。

夏の日は暮れず暮れずみ薄藍にはたと消えたりかの白き蝶

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『従兄弟G***』(ニ)

夏休みの初め、『A町歴史談話会』の折り、話者である公証人B氏夫人に、夫君の体調を尋ねた。昨年、秋口に健康上の理由で、急に引退されてしまったからである。
「大丈夫ですよ。事務所にも、行っていますよ。」
「仕事を再開されたのですか?」
「いいえ、でも、昔からの顧客の方とは、面談していますよ。」
先日ロワール河畔の小村から戻って来た時、丁度『キルトをはいた公証人』B氏が、その住まいである水車小屋に向かう後ろ姿を見かけた。少し前屈みで、まっすぐ前を見て精力的な歩きぶりだった。半袖シャツか出ている腕も陽に焼けて小太りで、以前と変わりなかった。ほっとした。
その後、数日して面談の予約がとれた。
事務所は、A町で裕福な家屋の並ぶ通りの一つにある。僧院長通りを城の前で左に曲がる。 馬車用の大きな扉を閉ざした屋敷が並んでいる。かつての城主R家の代官の邸宅や戦前の医者の住まい等も残っている。
公証人の事務所も百年以上同じ場所にある。太い梁が、コンピューターを打つ女性達の上に渡っている。
B氏の部屋の主のようであったイタリア風のどっしりと艶光りしていた机は、消えてしまっていた。革命時から、公証人であったB氏の先祖の肖像画も。しかし、簡易な黒い机の向こうのB氏は、あいかわらず。血色のよい丸顔で、回転椅子を廻し、大きな手をよく動かし、難かしい質問に次々答えてくれる。ただし、今は、引き継ぎの準備の真っ最中だそうである。
要件が終わった後、脇道にそれる。これも、氏との面談の楽しみ。
夫人がA町の歴史談話をするだけあって、B氏も生活史に関心があるらしい。自分の住む水車小屋の伝来を調べているという。
「ルイ15世まで、遡る事ができましたよ。元は、羊毛の下準備に使われたいたものです。穀物精製に使われるようになったのは、その後ですね」
「中は、元のままですか?」
「水車以外はね。水車は、隣の県の何処か酒場に行っているそうです。見つける為には、県中の酒場を探さないとーーー。」
『従兄弟G***』の跡を探している事を話す。彼の公式の遺産相続は、この事務所で行われた。M氏の祖母とその親戚一同が、この同じ建物に集まり、遺言書の開かれるのをまったのかもしれない。(尤も、この部屋自体は、公証人の住まいだったそうである。)
「C***公証人の時代ですね」
「ええ、株券については、C***氏の署名のある書類が見つかりました。あまりたいしたものは、無かったようです。むしろ、どのような美術品に興味をもっていたか、知りたいのですが。」
「C***氏は、私の二代前ですね。彼の資料は、全部まだ取ってある筈です。今度調べてみましょう。なかなかおもしろいですね。」
大きな手を握って別れた。
M氏の祖母や曾祖母達の関連する村役場に問い合わせて、戸籍抄本等を調べるように教えてくれた。
少しずつ、あの「忍冬の乙女」の、そして「卵を七回焼き直させた」『従兄弟G***』が、見えて来るかもしれない。

川柳葉裏も白く翻り見ぬ昔こそ浮かぶ夕暮れ







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