ソーローニュの小さな電車
静かな日曜の午後、ソーローニュの端近くの小村を訪ねた。
M氏の伯母は、妹であるM氏の母親とともにオルレアンの女学校で学び、小学校教員資格を得た。V村に赴任。偶々、自分の従姉妹が同村の 木靴職人マルシャン親方に嫁いでいた事もあり、M氏の祖母は、黒い大猫を籠に入れ、幼い孫を連れしばしばA村から逗留に来た。
当時、1930年代、 A村からV村まで、小さな電車が通っていた。 A町、ラルジャン=シュール=ソールド、セルドン、そして V村 。どのくらい時間がかかったのだろう。一時間くらいだろうか。その頃の時刻表でもあれば、いいのだが。電車は、県庁所在地ブールジュを発し、ソーローニュを通り抜け、お城で有名なシューリー=シュール=ロワールで、ロワール河を渡る。20世紀半ばまで走っていたそうである。
車で行く時も、アルジャン、セルドンと国道を北に進み、やがて左折する。分岐点に「V村まで4キロ」の表示。そこから1キロも行かないうちに、旧駅舎があった。今は、花一杯の可愛い家 となっている。
電車の不便な点は、V村から駅まで遠い事と聞いていた。伯母さんは、自転車を利用したそうである。なるほど遠い。僅かの畑、ささやかな牧場を過ぎると、後は、木々の茂った森。木立の向こうに池。ふと『モーヌの大将』を思い出した。夜、 この辺りを彷徨うのは、恐ろしい事だろう。まして、小説では、もっと人里離れた所なのだから。
フランスに来て、初めて森を知ったような気がする。日本に居た時は、 生まれ故郷の海辺の町でも、実家のある京都でも、森に縁がなかった。日本では、その多くが、すぐ山になってしまうのかもしれない。
フランス各地に、それぞれ特色のある森が存在する。本来湖沼の多いソーローニュに見られる森は、比較的浅く、林と言ってもいいのかもしれない。平地に白樺や針葉樹が程よい間隔で屹立し、下草は、羊歯やヒース。風が梢を渡り、木漏れ日が揺れる。それでいて、少しでも陽が陰ると、一変して 不気味に奥深くなる。
人家が見えた。
村は、祭りらしく、教会脇の広場で音楽が鳴り、人が集まっていた、すぐに村はずれ。道沿いに総煉瓦作りの三軒長屋。手前の一軒の横は空き地となり、裏庭と小屋が見える。M氏の話。「多分、ここだと思う。住まいとは別に工房があり、マルシャン親方は、型のできた木靴の中を刳り貫いていた。」
裏庭の向こうは広い草原。木が一本、立っている。林檎のように見える。何時頃からあるのだろう。
教会前に戻り、来た時と別の道を行く。学校も村はずれ近くにあった。これも煉瓦作りで、花に飾られている。階段を昇った扉の上に、何か外した跡がある。当時一般には、男子校と女子校と分かれていた筈だが、M氏は思い出せないという。本当に小さい村だから共学だったのかもしれない。そういえば、『赤毛のアン』も共学で学び、教えている。M氏の話。
「 大きな教室が、一つだけ。そこで6歳から11歳まで一人で教えていた。 伯母の住まいも学校の建物の中にあった。台所で、日曜日、祖母が、焼き菓子を作ってくれた。小麦粉を山にして、中央に穴を開け、そこに塩と練乳 を入れて捏ねる。僕も、横で真似して捏ねた。大きな丸い菓子と小さな丸い菓子が、焼けた。」
後にバスが出来、伯母さんは利用したが、祖母さんは、電車の方がいいと、言っていた。やがて、第二次世界大戦勃発。マルシャン親父は、独逸軍が来るという知らせに恐怖で、急死。伯母さんも、任地が変わった。
ソーローニュを抜ける小さな電車に、私も乗ってみたかった。最近、観光用に一部再利用されている線もあるという。A町を通る線も、復旧されないだろうか。観光用としてよりも日常用として。
帰路は、そのまま、森の中を抜け、国道に出た。
黒苺が、色づいている。
「綺麗な薔薇には、棘が有る。
美味しい黒苺にも、棘がある。」
掌一杯摘んだ。店で売っている黒苺は、粒も揃って大きいが、野生のは、遥かに小さい。酸っぱいのも甘いのも混じる。
黒苺が、熟れ始めると、夏も終わり。
三ヶ月続く田舎の生活も、残す所、一ヶ月弱となった。
枝枝の葉裏は白く翻り黒苺実る森陰の路
M氏の伯母は、妹であるM氏の母親とともにオルレアンの女学校で学び、小学校教員資格を得た。V村に赴任。偶々、自分の従姉妹が同村の 木靴職人マルシャン親方に嫁いでいた事もあり、M氏の祖母は、黒い大猫を籠に入れ、幼い孫を連れしばしばA村から逗留に来た。
当時、1930年代、 A村からV村まで、小さな電車が通っていた。 A町、ラルジャン=シュール=ソールド、セルドン、そして V村 。どのくらい時間がかかったのだろう。一時間くらいだろうか。その頃の時刻表でもあれば、いいのだが。電車は、県庁所在地ブールジュを発し、ソーローニュを通り抜け、お城で有名なシューリー=シュール=ロワールで、ロワール河を渡る。20世紀半ばまで走っていたそうである。
車で行く時も、アルジャン、セルドンと国道を北に進み、やがて左折する。分岐点に「V村まで4キロ」の表示。そこから1キロも行かないうちに、旧駅舎があった。今は、花一杯の可愛い家 となっている。
電車の不便な点は、V村から駅まで遠い事と聞いていた。伯母さんは、自転車を利用したそうである。なるほど遠い。僅かの畑、ささやかな牧場を過ぎると、後は、木々の茂った森。木立の向こうに池。ふと『モーヌの大将』を思い出した。夜、 この辺りを彷徨うのは、恐ろしい事だろう。まして、小説では、もっと人里離れた所なのだから。
フランスに来て、初めて森を知ったような気がする。日本に居た時は、 生まれ故郷の海辺の町でも、実家のある京都でも、森に縁がなかった。日本では、その多くが、すぐ山になってしまうのかもしれない。
フランス各地に、それぞれ特色のある森が存在する。本来湖沼の多いソーローニュに見られる森は、比較的浅く、林と言ってもいいのかもしれない。平地に白樺や針葉樹が程よい間隔で屹立し、下草は、羊歯やヒース。風が梢を渡り、木漏れ日が揺れる。それでいて、少しでも陽が陰ると、一変して 不気味に奥深くなる。
人家が見えた。
村は、祭りらしく、教会脇の広場で音楽が鳴り、人が集まっていた、すぐに村はずれ。道沿いに総煉瓦作りの三軒長屋。手前の一軒の横は空き地となり、裏庭と小屋が見える。M氏の話。「多分、ここだと思う。住まいとは別に工房があり、マルシャン親方は、型のできた木靴の中を刳り貫いていた。」
裏庭の向こうは広い草原。木が一本、立っている。林檎のように見える。何時頃からあるのだろう。
教会前に戻り、来た時と別の道を行く。学校も村はずれ近くにあった。これも煉瓦作りで、花に飾られている。階段を昇った扉の上に、何か外した跡がある。当時一般には、男子校と女子校と分かれていた筈だが、M氏は思い出せないという。本当に小さい村だから共学だったのかもしれない。そういえば、『赤毛のアン』も共学で学び、教えている。M氏の話。
「 大きな教室が、一つだけ。そこで6歳から11歳まで一人で教えていた。 伯母の住まいも学校の建物の中にあった。台所で、日曜日、祖母が、焼き菓子を作ってくれた。小麦粉を山にして、中央に穴を開け、そこに塩と練乳 を入れて捏ねる。僕も、横で真似して捏ねた。大きな丸い菓子と小さな丸い菓子が、焼けた。」
後にバスが出来、伯母さんは利用したが、祖母さんは、電車の方がいいと、言っていた。やがて、第二次世界大戦勃発。マルシャン親父は、独逸軍が来るという知らせに恐怖で、急死。伯母さんも、任地が変わった。
ソーローニュを抜ける小さな電車に、私も乗ってみたかった。最近、観光用に一部再利用されている線もあるという。A町を通る線も、復旧されないだろうか。観光用としてよりも日常用として。
帰路は、そのまま、森の中を抜け、国道に出た。
黒苺が、色づいている。
「綺麗な薔薇には、棘が有る。
美味しい黒苺にも、棘がある。」
掌一杯摘んだ。店で売っている黒苺は、粒も揃って大きいが、野生のは、遥かに小さい。酸っぱいのも甘いのも混じる。
黒苺が、熟れ始めると、夏も終わり。
三ヶ月続く田舎の生活も、残す所、一ヶ月弱となった。
枝枝の葉裏は白く翻り黒苺実る森陰の路