『シューマンを聴きながら』

巴里では、ほぼ毎日のようにどこかしらの教会で音楽会が催されている。先日も、向かいも教会でピアノ演奏会が開かれた。会場は、教会付属の小劇場。青磁色の幄が高い窓を覆っている。
まだ、うら若い女性ピアニストは、クララ=ハスキルやリパッティの祖国ルーマニアの血を引いているそうである。
第一曲は、シューマン『交響楽的練習曲』。初めて聞く。もっとも、音楽の専門家には、よく知られているらしい。作曲者の最初に考えた題が、『悲壮変奏曲』というだけあり、高度な技術を要する変化に富んだ曲想が次から次へと展開される。同行した女性演奏家も、後で「難しい曲をーーー。」と、驚いていた。
憂鬱になっているどころではない。
2006年、晩秋から冬にかけて、グラン=パレで一風変わった展覧会が企画された。『憂鬱—西欧の天才と狂気』。古代から現代まで、憂鬱をめぐる作品の集成。絵画や彫刻等、美術品のみではなく、解説を読まないと主題との繋がりのわからぬ展示品も多かった。
知人の間でも賛否両論。「実に、面白かった。」という人もいれば、「夢にうなされた。」という人も。私は、よりによって、この陰鬱な季節に開催しなくてもーーーと。
その中の一点が、フェルナン=クノプフ Fernand Khnopff の『シューマンを聴きながら』。
瀟酒な客間で、一婦人が顳顬に手を当てうつむいて、腰掛けている。顔は見えない。画面の奥には蠟燭を付けたピアノの一部と、鍵盤の上の手だけが見えている。
同展覧会に付属してグラン=パレで催された音楽会にも、シューマンの作品が入っていた。
ごく幼かった頃、———何故、そんな話になったのだろう———、母から、父はシューマンが好きで、母自身は、断然ショパンと、聞いた事がある。妹がピアノ教師で、自分もピアノを嗜んだ父は、ショパンも好んでいたのだろうが、気質的には、よりシューマンに惹かれていたという事だったのだろうか。後の事を想い合わせると、そんな気がする。
演奏会は、シューマンの次に、ショパンの夜想曲とバラードで、華やかに終わった。

桐の実の 夜目にもしるく 急ぐ脚

さふらん

サフランは、香辛料。スペイン料理のパエリアや南仏名物ブイヤベース等に使われる。特にパエリアの鮮やかな黄色を見ると、ああ、サフランと思う。しかし、粉末でしか知らなかった。
ある年、友人がスペイン土産と、濃い朱橙色の糸屑のような物をくれた。透明な小袋に、ごく少量はいっている。サフランの元の姿であった。植物の一部分のようだが、どんな草木であろうか?
後に森鴎外の随筆『サフラン』を読み、それが花卉であると知った。『球根からすぐに紫の花の咲いた草』『緑の糸のような葉』と、ある。おや、クロッカスのような、と思った。
はたして、解説を読むと秋咲きクロッカスとしてある。雌蘂を使うらしい。但し、蘭医である鷗外の父が持っていたのは「ちぢれたような、黒ずんだ物」と、表されている。
手元の『花おりおり』を開くと、紫の花の大写しが載っており、先が三本に分かれた、あざとい程の色合いの雌蘂も、はっきり写っている。
それにしても、鷗外は、何故この随筆を書いたのだろう。他の作品に比べて、随分馴染みやすく、さりげない。解説に、『サフラン』は、尾竹一枝の『番紅花』に掲載されたと注してあった。字書をひいてやっとわかった。『番紅花』は、さふらんと読む。
この他にも、鷗外が本文中で示している「『水』の編に『自』の字」「夫」「藍」もあれば、歳時記では、最後の一字が「蘭」となっている。漢語では、『蔵紅花』。
九月の半ば過ぎであった。A町で、初めて地元物産展が催された。教会前の広場に幔幕を張り、十数件並んでいる。有機栽培の野菜や、葡萄酒、チーズ、菓子等、展示販売している。
「サフラン販売」と、看板がでていた。 県内で栽培しているとは、驚いた。硝子小瓶の一つに例の朱橙色の蕊を、もう一つには、紫の花びらのやや萎れたのを入れて飾ってある。香辛料の他、蒸留酒、焼き菓子、蜜、精油等さふらん入りの製品が並べてある。 畑の写真も出ている。小さい花なので、ラヴェンダーのように一面紫という訳にはいかないらしい。
一度、咲いている姿を見たいと思いながら、蜜を求めた。
琥珀色の蜜は、今、巴里の台所に置いてある。
さふらんの花盛りは、晩秋、そろそろであろうか。

さふらんの 旅情さそふや 午後の御茶

大人猫さん その二 フェビウス『小さなパン屋さん』

白猫フェビウスは、A町での二度目の夏休みを、無事終え、再び巴里暮らしとなった。
田舎の家では、夕食後一時間程は、ロンロン時。風通しのよい廊下に安楽椅子を据え、水泳眼鏡をつけたM氏が坐る。隣の籐椅子にフェビウスが、飛び乗る。喉を鳴らしながら、軽く爪をたててM氏の腕を前足で交互に揉む。パン屋さんが、パン種を捏ねているようーーー。厚手の部屋着に守られていても、M氏は、嬉しい悲鳴をあげている。
その内、肩までのび上がってきて、鼻をM氏の顔に擦り付けようとする。水泳用眼鏡が必要な所以。一度、何かに驚いて飛び跳ねて降りた瞬間、M氏の目のすぐ近くをひっかいてしまったから。やがて、今度は、膝の上で丸くなった。まだ慣れないのか、少し居心地悪そうではあるけれどーーー。
一年半前には、想像出来なかった光景である。
寒波が厳しく、雪がよく積もった一昨年の聖誕祭の直前、トロカデロ公園の外猫が怪我をしていると、連絡を受けた。一週間程行方不明だった当時五歳の雄猫。生け垣の下に潜んでいるのを、R老嬢と協力して捉えた。獣医で打撲傷の治療は終えたが、そのまま再び放すのは、危険に思われた。しかし、既に病持ちの亜子ちゃんがいる。私は手伝えない。暮れの30日に、M氏が全面的に世話をする条件で引き取った。
最初の三ヶ月間は、高い本棚の上に昇ったまま。緊張のあまりか、ほとんど食べなくなった。近寄ると、目を見開いて、硬直してしまう。何度、公園に戻した方が、いいのではないかと、悩んだ事か。しかし、95パーセントの猫は、懐くという話を励みに見守った。
公園にいた最後の日々、何か恐ろしい目にあったのか、外に逃げようとはしない。幸い、これまでの外猫同様、とても綺麗好き。食事の世話、砂の入れ替、総てをするM氏をじっと見つめている。
ほぼ終日家に居るM氏の寝室と書斎の間の壁に開けた猫用の通路穴が、転機となった。いつのまにか。M氏の居る部屋居る部屋に来るようになった。そのうち、同じ布団の上で寝始めた。
今では、M氏の姿が見えないと、大きな身体に似合わぬ可憐な声で鳴き立てる。外出から帰ってくると、『小さなパン屋さん』となって、歓迎してくれる。
公園に居た頃は、汚れがちだった毛並みも真っ白に、「太陽」の名前の通り美しい猫と成った。

帰り来ぬ巴里はマロニエ散りそめて猫と再び籠り居のとき

染め物

巴里には大小さまざまな画廊があり、多くの個展が催されている。その総てを見るわけにはいかないから、偶々誘われて行くのも一つの縁だろう。
Y先生の『第三回巴里個展ー染め物』。会場はサン=ジェルマン=デ=プレ近くの瀟洒な画廊。一階と地階と、間口に比べて広い会場一杯に、紬に染めた作品が展示してある。ほとんどが、壁掛けのような大きな一枚布。大胆な構図の幾何学模様と、紺や茶系の渋い色合いとが相まって、米寿を迎える作者の豊かな経験と瑞々しい感性とを伝えている。朱いガーベラの花を胸に挿したY先生は、背筋をまっすぐ伸ばし、次から次へと挨拶に来る人々に応対してらした。
ふと、こんな柄の着物を着てみたいと、思った。同時に、紺と臙脂だけで染め分けた一枚の着物を思い出した。それは、母の故郷、遠州の小都市のZ織りの着物であった。
母は、若い頃から外出は、いつも和服。
何処の公園だろう。ひっつめ髪の母が、その着物を着て、幼いおかっぱ頭の私の肩に手を置いている写真がある。もう一枚は、今度は、同じ着物を二十代の私が着て、平安神宮の枝垂れ桜の下で母と並んで笑っている。
Z織りは、母の幼なじみの父君の創案になる、特種な絹糸と草木染めの、総て手仕事の布。母達の誕生した昭和四年の創作という。Y先生と同じように、柳宗悦の民芸運動に共鳴したらしい。
国際電話での母の話。「うちから、五百メートルもない、紺屋(こうや)町に、工房があってーーー。」絹でありながら厚地なので、単衣でセル代わりとして売っていた。(桜の季節にも着た所以である。)結婚当初、父に一枚、自分で仕立てて贈ったところ、よく着てくれた。(父は、家では和服であった。) 後年、別れてしまった二人の間にそうした時があったとはーーー。
「いいわね。Y先生の個展、見てみたかったわ。」
着物道楽だった母は、染織の話となると、今でも楽しそうである。

霧雨や 小径の画廊に 灯はともり

川船の音楽の夕べ

巴里の楽しみの一つは、大きな演奏会もあれば、うちうちの小音楽会もある事。過日の「三面扉絵」(プッチーニ)第一幕は、セーヌ河畔の川船が舞台であったが、今回は、実際、その一艘で催されたフルート二重奏の夕べに招待された。
小春日和というよりも、寧ろ暑いくらいの或る土曜日の午後。澄んだ陽射しに浪も煌めき、ソルフェリーノの太鼓橋にも似た階段を昇ると、風が心地好い。かなり迷って降りた河っ縁。家族連れ、恋人同士、朋友連れ立ち三々五々散歩している。
船の中は、意外に広く明るかった。天井の大窓に向かって鉢植えの木が枝を伸ばしている。ごく薄い紅のトルコ桔梗の花束が、飾ってある。
奏者は音楽学校留学中の日本人。短髪に黒いパンタロンスーツが爽やかな娘さんと、軽く波打つ長髪の若者。聴衆は、十数人。やはり音楽専門の学生達がいた。
ベートーヴェン、テレマン、モーツァルト、クーラウ。
随分難しいのだろうが、 総て軽やかに快い。船の中から、広々とした野原や深い森に誘いだされるようだ。テレマンの一節では、数回やり直しもあったが、こちらも今度こそは、と、力が入り、無事演奏し終わった途端拍手喝采。難曲というクーラウも、見事にこなして、大いに盛り上がった。
生活の中心に音楽を据えている若い人たちは、見ていても清々しい 。そして、いろいろ教えられる事が多い。
(実は、クーラウの名が聞き取れなかった。後で、問い直して、ネットで調べたら、懐かしいソナチネが響いて来た。夕靄の漂う住宅街の何処で、いつも誰か子供が弾いている曲。フルートの方で有名な作曲家とは知らなかった。)
時間の都合で、そうそうに失礼してしまったが、後に残った人々は主催者手作りの茶菓を楽しみつつ、なごやかに話し込んでいるらしかった。

風の声鳥のさえずり消ゆるごと笛の余韻に乙女の笑顔
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Author:桐の葉も
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