『モネ 1840−1926』展、雪と氷
雪が積もっている。葉を落とし尽くした槐や欅の幹の片側、枝の上側、八つ手や南天の艶やかな緑の葉の一部分にだけ。ブーローニュの森近い緩い坂道。バサッと音がして、鵲が降り立った。長い尾をゆさゆささせている。
夕刻、グラン=パレ『モネ 1840−1926』展へ。今日は、雪と氷の絵を中心に観る事にした。
有名な『鵲』、『ブージヴァルの氷塊』、対岸のベトューユの教会と河原の雪景色、霜や雪に覆われた干し草堆等々。
しかし、圧巻は一八七九年から八十年の冬に描かれた一連の作品。セーヌ河の凍結解氷の大作が、各国から一堂に集められ、小さな部屋の三方の壁に展示されている。初めて、これらの作品に囲まれた時、息の詰まる思いがした。凛冽の気が吹き付けてくるーーー。
この冬は、モネにとり精神的にも経済的にも苦しい時であったらしい。七九年九月五日に、最初の妻カミーユが三十二歳で亡くなっている。十代でモネと知り合い、多くの絵のモデルとして、妻として、二児の母として、その傍らに生きた女性。彼女の不治の病、長い闘病生活、後妻となるアリスやその六人の連れ子の存在、同居、恐らく死を覚悟しての二度目の妊娠出産等等、既に周知のことであろう。
会場には、 初めてサロンで成功を収めた緑の衣の『カミーユ』他、彼女の肖像画も展示されている。 中でも、 画家自身が保存していたという『赤頭巾』、そして『死の床のカミーユ』。降り積もった雪の中、 硝子戸越しの、鮮やかな赤い頭巾を被ったうら若い女性。最初の子も幼く、病も発覚していない。それにもかかわらず、心なし儚げなーーー。 彼女の顔はよく見えない。ふっと出かけて行く(何故か、そう思える、戻って来たようには見えない。)「すぐ帰ってきますよ。」と、微笑んで。
何処へ?
そして、帰らぬ旅となる死に顔は、見ようによっては霧氷の内に閉じ込められているかのようである。
極寒、画家は眠られぬ夜を過ごしたのかもしれない。
しかし、日が昇れば、再び画帳を抱えて大自然の前に。画家は、渾身の力を振り絞って描いている。そして、描かれた絵は、総てを離れ 峻厳極まりない天地の清冽の気に満ちている。
モネは、これ以降、益々風景画に比重を置くようになったという。
出口近くに、小品『雪のジヴェルニー』。静かな絵であった。
草の葉も 凍りて夜の 光あり
夕刻、グラン=パレ『モネ 1840−1926』展へ。今日は、雪と氷の絵を中心に観る事にした。
有名な『鵲』、『ブージヴァルの氷塊』、対岸のベトューユの教会と河原の雪景色、霜や雪に覆われた干し草堆等々。
しかし、圧巻は一八七九年から八十年の冬に描かれた一連の作品。セーヌ河の凍結解氷の大作が、各国から一堂に集められ、小さな部屋の三方の壁に展示されている。初めて、これらの作品に囲まれた時、息の詰まる思いがした。凛冽の気が吹き付けてくるーーー。
この冬は、モネにとり精神的にも経済的にも苦しい時であったらしい。七九年九月五日に、最初の妻カミーユが三十二歳で亡くなっている。十代でモネと知り合い、多くの絵のモデルとして、妻として、二児の母として、その傍らに生きた女性。彼女の不治の病、長い闘病生活、後妻となるアリスやその六人の連れ子の存在、同居、恐らく死を覚悟しての二度目の妊娠出産等等、既に周知のことであろう。
会場には、 初めてサロンで成功を収めた緑の衣の『カミーユ』他、彼女の肖像画も展示されている。 中でも、 画家自身が保存していたという『赤頭巾』、そして『死の床のカミーユ』。降り積もった雪の中、 硝子戸越しの、鮮やかな赤い頭巾を被ったうら若い女性。最初の子も幼く、病も発覚していない。それにもかかわらず、心なし儚げなーーー。 彼女の顔はよく見えない。ふっと出かけて行く(何故か、そう思える、戻って来たようには見えない。)「すぐ帰ってきますよ。」と、微笑んで。
何処へ?
そして、帰らぬ旅となる死に顔は、見ようによっては霧氷の内に閉じ込められているかのようである。
極寒、画家は眠られぬ夜を過ごしたのかもしれない。
しかし、日が昇れば、再び画帳を抱えて大自然の前に。画家は、渾身の力を振り絞って描いている。そして、描かれた絵は、総てを離れ 峻厳極まりない天地の清冽の気に満ちている。
モネは、これ以降、益々風景画に比重を置くようになったという。
出口近くに、小品『雪のジヴェルニー』。静かな絵であった。
草の葉も 凍りて夜の 光あり