黒猫トーユー(二) 

聖誕祭の週末。身に染む寒さ、薄ら氷は消えず、椿や一位の葉にも残雪が白く光っていた。
それでも、水のように澄んだ青空が広がった午後、サン=ジェルマン=デ=プレからノートル=ダムへと、歩いてみた。途中、サン=シュルピースにも立ち寄った。数年前シシリア風の馬小屋飾りが、可愛らしかったが、今年は、ごく質素。
セーヌ河を挟んでノートル=ダムを真横に見る珈琲店で一休み。
よく晴れた日の名残の陽光が、乳白色とも象牙色とも見える高い塔の石に揺影している。過日、霊前にと戴いた手作りの、薔薇の保存花(preserved fleurs) の温かく優しい色にも似ている。これから本の少しづつ、日が長くなっていく。
帰宅すると、留守番電話に、B女史から、ただ一言。
「どうしているかと思って。」
黒白猫亜子ちゃんが重態の時、電話したまま、報告もできないでいた。B女史の前では、いくら泣いてもいいのだけれど。彼女自身が、沢山の小さな命を送り出して、泣いて来たのだから。
「そうーーー。」受話器の向こうで、いったん声が途切れた。
「トーユーも、ね。 聖誕祭の日に。 足が麻痺して歩けなくなってしまったの。苦しませたくなくて。R女史が一緒に行ってくれたわ。私一人では、獣医さんまで、連れて行かれるか、自信がなかったから。」
トーユーは、十七年間、エッフェル塔の裏の公園で暮らしていた黒猫。寄る年波に、昨年の夏、それまで外猫として世話をしていたB女史の家に引き取られた。交替で餌をあたえていたR女史は、毎週二回、B女史の家に遊びに来た。二人とも、独り身の一人暮らし、80歳を越えた。
「1、9キロしかなくなっていたの。でも毛並みは綺麗だったのよ。」
好きな物を一日置きくらいに食べ、水道の水を蛇口から直接飲み、電灯の下で暖を取り、昼寝の催促をし、満月の夜は、外にも出たがった。
最後の晩も一緒に眠った。
「十五ヶ月と十五日。でも、終わりまで看る事ができて、よかった。」
B女史は、既に数回倒れている。
泣けるだけ泣いて、哀しみは極まりまで行った方がいい。そう言う彼女自身も、泣いているのかもしれない。子供の頃、私は、涙に溺れてはいけないと、自由に泣く事も出来なかった。しかし、今は、ーーー。
冬の極まりの冬至に、太陽を祀った北国の古人の心が、ふと、ゆかしい。

黒猫の 瞳にうつりし 雪何処









熊ちゃんと犬と

宵の内の雪が霙となり、やがて本の少し晴れ間も見えるようになった昼近く、地下鉄の駅に向かう道に沿った低い柵の上に、ぬいぐるみの犬が、乗っていた。体長十センチ程。立った姿勢で、赤いつなぎを着ている。垂れた耳、小さな縦長の目、大きく弧を描いた口元、頭の上の紐がちぎれている。見た目にも、ぐっしょり濡れている。
子供が落としたのか。それとも、昨日引っ越しがあったようであるから、捨てられてしまったのか。
どうなるのだろう、この犬は。
四年程前、日も暮れ果てた同じ道、 道路脇のごみ箱の上に、なにか嵩高い物が乗っていた。一瞬、怯んだ。よく見ると熊の縫いぐるみ。体長50センチ程。まるまると、可愛い顔をしている。
ごみ箱の上であるから、明らかに捨てられたのだろう。翌朝、回収車が来れば、台所の滓と一緒に投げ込まれてしまう。
仏蘭西に来て不思議に思ったのは、ぬいぐるみや人形を、ごみと一緒に捨ててある事。
京都に、宝鏡寺、俗称人形寺がある。尼門跡で平常門戸を閉ざしているが、雛祭りの頃には、特別拝観となる。江戸時代からの御雛様が展示される。この寺には、供養として全国から様々な人形が寄せられるそうである。
熊の茶色い目は、私を見ている。
ひょいっと、抱えて家に帰った。翌日、綺麗にして寝台の端に据えた。黒白猫の亜子ちゃんは、吃驚。恐がるかと思いきや、早速熊ちゃんの上に乗って、ゴロゴロ喉を鳴らしながら、前足後ろ足で揉み始めた。「熊ちゃん、好き好き」それとも「熊ちゃん、苛め」。やがて、熊ちゃんに抱かれたまま、丸くなって眠ってしまった。
亜子は、生後一ヶ月足らず、完全に乳離れもしない状態で貰われて来た。母猫の味を殆ど知らないのかもしれない。
その後、暫く一緒に暮らしたもう一匹の猫とは、側に居る事はあっても、身体を舐め合ったり寄せ合ったりということは無かった。
それまで、亜子が、全身を預けてくれていたのは、私一人。
ふと思った。何時の日か、亜子の姿はなく、熊ちゃんだけを見なければならなくなる日が、来るのだろうか、と。
今、熊ちゃんは、独りぼっち。
所用が終わり、暗くなってからの帰り道。午後からの氷雨がやまない。
犬は、そのまま、益々濡れそぼっていた。
手に、取った。

底寒く 枕頭の明かり 消しがたし

渦巻き菓子とマルセイユ

寒波の合間をぬって、久しぶりにM氏とラテン区の菓子店へ行った。今回は、二十代半ばのピアニストさんも一緒。
医学部からソルボンヌへ抜ける細い路地、うっかりするとみのがしてしまいそうな狭い間口、硝子窓の向こうに沢山お菓子が並んでいる。近頃流行の小型で綺麗な洒落たお菓子ではない。ウィーン風と銘打ったクリームたっぷりのお菓子もタルトも、かなり大きくて、しかも、さすが老舗と思わせる風格。何しろM氏の学生時代、六十年も前から存在しているので。仏蘭西語を勉強中のピアニストさんに、M氏は、南仏訛の日本語で説明する。
「毎日、この前を通っていました。入りたかったけれど、お金はありませんでした。ある日、渦巻き型のお菓子を見つけました。食べたかった。でも、我慢しました。」
地方の高校から、転入してきたM氏には、巴里で暮らすだけでも「恐ろしかった。」そうである。
店頭販売の隣室に 二十席ほど。磨きぬかれ、すり減ったような椅子や卓が詰めて置いてある。例の渦巻き菓子、木苺のケーキ、珈琲、紅茶、菩提樹茶、さらに熊葛茶を注文する。
低い天井から 古い映画に出てくるような長い羽の扇風機と洋燈が下がっている。 窓際から奥まで支える一本の梁は、真実太い。差渡し60㌢位。壁にはミュッシャであろうか。当時の広告の写しが飾ってある。本物もあるのかもしれない。 総てが古いけれど、清潔。急須も、割れた蓋を接いであるが、中や注ぎ口は、真っ白。我が家のつまみの取れた急須も修理して使わなければーーー。
ピアニストさんは、今度、特別授業のため、マルセイユに行くと言う。
南仏は、M氏最愛の亡き父君にとっては、青春の地。
M氏の父親は、二十歳の頃、兵役でマルセイユに駐屯していた。下士官として劇場の巡察を命ぜられた。その御陰で芝居や歌劇に親しむようになったという。本人も、写真で見るとなかなかの美丈夫。黒髪に黒い目、整った優しそうな顔立ちに小さな口髭、丁度モーパッサンの『美しき男友達 Bel ami』を思わせる。なかなかよい声で、よく歌劇の曲を歌っていたという。
しかし、その後三十年たって、再びマルセイユに、今度は税務署の役人として任命された時、父君は迷った末に 断った。「『恐ろしかった』 と、言いました。」実際、代わりに赴任した人は、警備されていたにも関わらず殴打されてしまったそうである。
千九百三十年代。
「映画『ボルサリーノ』を知っていますか。」
ピアニストさんは、ちょっと困ったように、にっこりして首を傾げている。
しかし、マルセイユといえば、何と言っても旧港。
『マリウス』、『ファニー』等、 M氏が舞台、映画で馴染んでいるパニョールの世界 。私は、『父の栄光』『母の城』という小説で、まず知った。更に、以前エクサンプロヴァンスを訪れて、泉の多いのに驚いたというピアニストさんの言葉に、『泉のマノン』。
M氏は、パニョール夫人の演じた映画化第一作も、イヴ=モンタンが父親役で好演した第二作も観ている。第一作の時、私は生まれていなかった。第二作の年、ピアニストさんは、生まれていたか、どうかーーー。
外に出ると、空は相変わらず雪気に曇り、刺すような冷気。
南仏の明るい光が恋しくなる。

風花や 中折れ帽の 父遠し 











『朝びらき丸東の海へ』(『ナルニア国物語』)

初めて、三次元映画を観た。
『朝びらき丸東の海へ』。『ナルニア国物語』第三作。
前二作を見逃しているので、楽しみにしていた。
『ナルニア国物語』は、子供時代の愛読書。
須賀敦子は、好きな本を、読んで読んでと、周囲に薦めた、と書いているが、よくわかる。小学校の帰り道、幼なじみの同級生にナルニアの話を語り聞かせた。別れ道に来て、いつまでも立ち止まっている二人の姿を、母は台所の窓から見て、あきれていたそうである。
当時『ナルニア国物語』は、邦訳が出て間もない頃。それほど知られてはいなかった。偶々、母が新聞広告で見つけ、出入りの本屋に注文してくれた。I書房の店主は、小豆色の箱を荷台の載せた軽二輪車で、七冊の本を、一冊づつ届けてくれた。
学校から帰って、勉強机の上に新しいナルニアを見つける喜びーーー。
『朝びらき丸東の海へ』の舞台は、海。東の海の果ては、この世の果て、その向こうは、アスランの国、永遠の国。
十歳ぐらいというのは、科学的知識も少しずつ入ってきて、時空の永遠性に気づき、目も眩むような戦慄を覚える年頃なのかもしれない。私にとっては、修道院付きの幼稚園で教えられていた「天国」「永遠の命」と、太陽系から銀河系へ、さらに想像もつかぬ程遥かな彼方とが、小さな頭を混乱に陥れ、漠然と苦しめている時期でもあった。「宇宙の果て」と「死後の世界」とに、限りない恐怖を抱いていた。ちょうど中世とルネッサンスの間に生きた人々が「この世の果て」に畏怖と憧れを抱いていたように。
恐らく、何かとても重大な事が書いてあると、朧げに感じつつ、しかし、幼い私は、登場人物と一体となって浪に揉まれ空を飛び、ナルニアの世界に浸り切っていた。
それは、日常を離れ、自由に羽ばたく一時でもあった。
その後、家庭崩壊が襲って来た時、私は、猫を抱いて大きな洋服箪笥の中に閉じこもった。このまま、ナルニアに行く事ができるのならーーーと。しかし、私は、もう子供ではなくなってしまっていたのだろう。洋服箪笥はいつまでも洋服箪笥のままであった。
さて、雪の予報の出ていた朝一番、これも初めての映画館に行った。巴里では老舗、由緒ある大きな映画館である。ただし、ナルニアは、劇場風の部屋ではなく、ごく普通の小さな部屋で上映された。
今回は、一切予備知識なしで、観る事にした。
そして、充分楽しむ事ができた。映画化の常で、原作とは違っている部分も感じられたが、それなりに統一が取れていた。
特に大画面ならではの海の美しさ、恐ろしさ。アスランもリープチープも、少しも滑稽ではなく、現実味があり、触れば、柔らかな毛並みと温もりとが感じられそうであった。三次元といっても、それほど抵抗無く、ごく自然で忘れていた程。
実は、泣いてしまった。
東の海の果てで、リープチープは、小舟に乗って、さらに漕ぎ出ていく。子供心にも、それが、「死」であると、判っていた。
今回、映画の中でユースチスは、別れを告げるねずみの英雄に「もう二度と会えないの?」と、泣きじゃくる。
「死」とは、「もう二度と会えない」事。
この単純な事実に子供の時も今も、ただ悲しくて涙を流している。ユースチスのように「よく、わからないけれど」と、繰り返しつつ。
ナルニアを語り聞かせられた友人は、渡した全巻を夏休み中に読んでしまい、ついに自分でも購入するほど夢中になった。
そして、映画を観た私は、早速、また彼女に報告をしている。
「あのね、ナルニアを観たのーーー」と。

大海の彼方の友と語り終へ雪ふる宵の巴里の静けさ







蠟燭

日本に居た頃は、あまり馴染みがなく、こちらに来て身近となった物の一つに蠟燭がある。
ソーローニュの田舎の家は勿論、巴里の住まいも、家具や調度品はM氏の祖父母や両親から譲られた物が殆ど。中には、古道具屋で購入したり、村の家具工房の親方であったM氏の曾祖父の手になる品もある。
そうした家具や暖炉の上に、大小さまざまな燭台が置いてある。単独の場合もあれば、置き時計の左右に添えてある場合もある。小さな木の手燭立てから、三枝四枝と凝った造りまで。M氏の祖母、マリーおばあさまは一八九十年頃に結婚している。そのお祝いも、鄙作りながら、黒と金の飾りのついた置時計と三枝の燭台の一組であった。
燭台には、皆、白や赤の蠟燭が立ててある。
実際に使うのかしら、と思っていたが、嵐の夜の停電などには、便利であった。懐中電灯でマッチをすって火を点す。意外な程、明るくなる。外では、雷が鳴り、風が吹き荒れ、雨が屋根や鎧戸に打ち付ける。眠る訳にはいかないから猫達を抱え、ぼんやり炎を眺めていた。朱とも黄色ともつかぬ暖かな炎が、揺れるともなく揺らめいていた。
蠟燭の種類も多い。簡素な白い一般用から、凝った意匠の使うのが勿体ないような高級品まで。近頃は、写実的な花の形や香料入りも見かける。動物の形は買わない。溶けてしまう姿を見たくないので。
先日、珍しく和蠟燭を点した御席で御薄を戴いた。隣接した展示会場でも黒楽黒漆の美しさに魅せられたが、細く長い炎の静かな光に照らされて、いっそう幽玄の趣を増したようであった。
以来、時々一人で蠟燭の炎を見つめている。

蠟燭の炎の先に透き通る揺らめきに似て消えし命か
Profil

桐の葉も

Author:桐の葉も
Bienvenu à FC2 Blog !

Derniers articles
Archives mensuelles
Catégories
Recherche
Lien