アルベルト=カーン庭園『日本のクリッシェ』展

ブーローニュの森の南西端、セーヌ河近くにアルベルト=カーン庭園という公園がある。日本式、仏国風、英国風、果樹園薔薇苑、温室等、それぞれ特徴のある七区域、総面積四ヘクタールの庭。現代建築の美術館が付いている。
旧主アルベルト=カーン(1860−1940)は、若くして金融界に名をなし、財を築くが、晩年、世界恐慌のあおりを受けて逼塞し、破産に至る。彼は、1909年から凡そ二十年間、約五十カ国に人員を派遣し、その国の自然、風物、伝統文化等の映像資料を収集させた。中には、女性もいたという。一万八千メートルの黒白映画、七万二千枚以上の天然色乾板(オートクローム)が、残された。
彼の死後、これらの資料は同館に展示されている「ルイ=ヴィトンの大型旅行鞄一個分」の価値とされ、放置されていた。それが、徐々に整理され、日の目を見つつある。機能的に設計された館内での閲覧の他、随時展覧会も企画されている。
今は、『日本のクリッシェ、1908−1930、静止した時』。1908、1912、1926—27。明治、大正、昭和、各年代の日本の姿を展示している。
解説は、以前グラン=パレの『道教』展でも、お世話になった若い講師さん。ありきたりの説明ではなく、彼女なりの分析も加えていて興味深い。今回は、聖なるものとその表れというような趣旨であった。
カーン氏が、庭を造る際、参照にしたと思われる多くの日本庭園を初め、厳島や日光、京都奈良の有名な神社仏閣から、道ばたの名も無い祠、村祭りで扮装した子供達や、桑の葉摘みの少女達、雛祭りに端午の節句、桜島や富士山、軒並み看板をだしている下町。詳しい事はわからないが、天然色乾板(オートクローム)は当時最新の技術だったそうで、沈んだ赤や青の微かな色が付いて見える。それが、不思議な程、静かな落着いた趣をたたえている。動画では、金剛流『隅田川』、珍しい『望月』等。大正天皇御大喪もあった。
遠い旅をしたような緩やかな疲れとともに庭にでる。日本庭園は、椿が盛り。大きな鯉が泳ぎ、鴨が羽の手入れをしている。
曇りがちだった一日。夕かたまけて、風はやや冷たく、辺りに人影は無い。1999年の嵐で受けた破損も修復された庭内を一巡する。
ひっそりと佇むカーン氏の旧宅の前を過ぎ、西洋杉や蝦夷松の鬱蒼と茂る『蒼い森』へ向かう。『沼地』から、プリムラの花が彩りをそえる小径を辿り、秋には白樺の黄葉が輝く『黄金の森の草地』、さらに『ヴォージュの森』へ。ここは、カーン氏の故郷アルザスの山林地帯を再現している。 世界中を旅した彼だが、 幼児期を思い起こさせる落葉樹常緑樹取り混ぜたこの木立に、庭の中でも奥深い土地を割いている。曲がりくねった道を昇り降りする。岩石がそこここに置いてある。 最晩年、氏には、居住権のみが残されていた。 丹精籠めた庭が荒れ果てて行くのを、眺めながら歩みを運ぶ老人。会場には、氏の唯一の公式写真が展示されていた。非常に慎み深く内気であったという。禿頭、小さな口髭と顎髭を蓄えた丸顔、小柄で小太り、「恐らくアルザス訛のぬけない」銀行家は、その盛事でさえ、どこか生真面目で、物おもわしげな表情をしている。
氏の大学受験資格試験準備を手伝ったのは、一歳年上のアンリ=ベルグソンであった。科学的な認識とは異なる時空に思索をこらした哲学者。ベルグソンの親戚にもあたり、二人より十歳ほど若いプルーストの『失われた時を求めて』の主題は、時とともに場所。三人三様の時空への関わりを思いつつ、芝生のひろがる英国庭園へ。展覧会の題「クリッシェ」という言葉自体、どうも訳しにくい。写真の乾板または陰画であると同時に、有る時有る場を瞬間的に捉えた物でありーーー。
突然夕闇に浮かんだ鮮やかな黄色の喇叭水仙の群生。ムスカリの小さな紫の花もそこここに。日本庭園から流れ出るせせらぎの音。
そういえば、以前はよく茶室の縁側で丸まると太った猫達が日向ぼっこをしていたものだがーーー。
美術館の裏口では、桜の花が満開を迎えようとしていた。

ありしとも思えぬ花の咲きいづるこの夕暮れの風のやさしさ

杜の都と滝桜

所謂、白河の関を越えたのは、二度しかない。その両度とも、夢のように美しい思い出となっている。
一度目は、高校二年生の修学旅行。仙台に泊まり、平泉、松島等を観て回った。初めて訪れた東北の秋の冷たく澄んだ空気。紅葉の鮮やかさに驚いた。 大学受験、家庭崩壊と暗い日々、朝霧に包まれた杜の都は、憩いの一時を与えてくれた。 そこには、また、母の就学前からの幼なじみが嫁いでいた。自由時間を利用して、お宅に伺った。初めてお会いした。「Tちゃんに、よく似て。」と、懐かしそうに言って下さった。共に傘寿を迎えた二人は、電話を掛け合っていたが、この度の地震の後、まだ音信不通という。
二度目は、三十年近く経った数年前の春。叔母夫婦と、その友人に誘われ福島県三春の滝桜を観に行った。丁度、日本に帰国中。京都から上京し、まず叔母の家に泊まり、そこから、早朝、車で出発した。山また山が両脇に続く自動車道。漸く芽吹き始めた木々の柔らかな緑。遠近(おちこち)に白く見える山桜。昼近くについたろうか。小さな村の外れ。樹齢千年以上といわれる満開の桜は、想像を超えていた。小高い丘の上、巨大な紅枝垂が、文字通り、花の滝を周囲にめぐらしている。数多くの竹を組んだ支柱に、大小の枝がゆるやかにもたれている姿は、十二単の臈長けた美女とも、花の精とも映った。ときどき明るい陽射しが差しながらも、曇りがちの静かな空。それが、却って幽玄の趣を増す。 当時、既に膠原病の進んでいた叔母は、杖に寄りかかり飽かず見上げていた。辺りには、沢山の若い桜の木々も。「昔の人は、花に下に立って、花の精気を受けたそうですよ。」叔母の言葉に、その友人も、にっこり頷いていた。彼は、少し前に、癌のため胃の全摘手術を受けたそうであった。
大の動物好き。捨て猫や捨て犬を放っておけず、自分の身体が不自由になっても、庭に来る外猫の餌の心配をしていた叔母。その庭には、多くの茶花が、育ててあった。なかなか会う機会は無くても、訪れる度に子供の頃の愛称で呼んで、歓迎してくれた。彼女と会ったのも、この時が最後だった。
今年の滝桜の開花は、4月15日頃と出ていた。

安らかに空うらうらと紅の花咲き鎮まる朝を待ちつつ

東日本大震災の犠牲となられた方々、総ての生物のご冥福を御祈りいたします。
そして、今なお心身ともに苦しんでいらっしゃる方々、小さな大切な命達に、少しでも早く穏やかな日々が戻ってきますようにーーー。

ワーグナー『ジークフリート』

ワーグナー、特に『ニーベルングの指輪』となると、一寸構えてしまうのは、何故だろう。あの重たさに、どちらかというと、苦手意識が先立ってしまうからかもしれない。
舞台を見るのは、今回で三回目。但し、初回はベジャールの『指輪をめぐる指輪』Ring um den Ring。二回目は、シャトレー劇場。
初めにバレーで観ておいたのは、よかったと思う。勿論全くベジャール流となってはいるが、一晩四時間半で『ラインの黄金』から『神々の黄昏』まで。筋も登場人物も一貫していて、全体の雰囲気が伝わってきた。如何にもブリュンヒルドらしいグダニエク、好きだったガスカール(ミーム)、ハイゲン(アルブレヒト)、ロマン(ロッジ)と、1990年当時の名手が総出演していた。ジークフリートは、少年役と青年役に分かれていて、二人とも役にふさわしい容姿であった。 音楽は録音。カラヤン、ソルティ、フルトヴェングラー、テンステッド指揮を場面により使い分けているらしかった。
シャトレー劇場は、初めて楽劇として観たので、圧倒されていたのか、よく覚えていない。ロベール=ウィルソンの演出。全体に暗く冷たい舞台で、放浪少年のようなジークフリート。やはり、鳥の旋律だけを漠然と覚えている。
今回は、バスチーユ。昨年度、前夜と第一夜をみているので、演出にはもともと期待していなかった。森の場面の幕の使い方が詩的だったのが、救いだろうか。
歌手については、ワーグナーを歌うだけでも大変と思ってしまう。トルステン=ケール初め、皆難役をこなしていた。しかし、ル=モンドが指摘していた通り、主役は音楽。指揮者と楽団員。ワーグナー好きのM氏も、『ジークフリート』が、これほど素晴らしいと思った事はなかったと、感激していた。激情的に歌わせるよりも、一つ一つの旋律を明晰に聞かせる。主題から次の主題への連結を明白にしている。知的分析的な捉え方。そのため、混沌となりがちなワーグナーの曲が、すっきりとしてくる。
新聞評によると、フィリップ=ジョルダンは、どうやら暗譜で指揮したらしい。それだけ、全身で楽団員との交流交感を図ることができた、と。気のせいかもしれないが、昨年度の『ラインの黄金』『ワルキューリ』よりも、数段優れていた。
楽団員と若い新任指揮者との信頼関係が、一年かけて深まったと言うことだろうか。これから、楽しみである。
今度、初めて、ワーグナーを、構える事無く、音楽として充分味わう事ができた。

春の午後未だ芽吹かぬ梢にもさやかに見ゆる一羽の小鳥

花屋の犬

地下鉄の駅のすぐ側に、一風変わった花屋がある。今時、珍しくなりつつある個人経営。店先の歩道一杯にも、バケツや鉢植えを並べている。他の店に較べ、木ものが多いような気がする。切り花だけでなく、枝ものや葉ものもある。いろいろな小さな実のなる果樹や、山野に生えていそうな草花もある。
暗く手狭な店の奥には、大きな鳥籠が見え、小鳥のさえずりが聞こえる。更に、数年前までは、店の前にいつも大きな黒犬がいた。私がこの地域に住み始めた頃は、犬もまだ若かった。如何にも人なつこく、通りすがりの人々に頭を撫でられ、尾を振っていた。大人しく、吠えるのを見た事がない。散歩している他の犬の後を、ちょっと付いていったりしても、すぐに戻ってくる。並びにあるチーズ屋や肉屋の前に坐っている事もあった。
しかし、その内 犬の足取りも弱々しくなり、歩道の真ん中でぼうっとしている姿を見かけるようになった。
花屋の女主は、中年過ぎの丸い小柄な婦人。同じようにくりくり小太りの少女が、休暇の折りなど手伝っていた。その内学業を終えたのか、毎日店に出始めた。殆ど笑顔を見せないが、黙々とよく働く。重いバケツを持ち上げ、水を遣り、掃除をする。働きながら、犬の様子にも気をつけていた。余り遠くに行き過ぎると、連れて帰ったりしていた。
ある夏の夕、土砂降りの雨の中、娘さんが、犬を抱きかかえて早足で歩いてくるのに出会った。おかみさんも、横を小走りに付いてくる。二人はずぶ濡れなのも構わず、まっすぐ前を向いて、雨脚を撥ねとばすように、足を運んでいる。硬直したように仰向けの大きな犬を胸の前で横抱きにした娘さんは、目を見開き口を固く結んでいた。
数日後、少し離れた道で、娘さんが黒い犬を散歩しているのを見た。思わず、「花屋さんのーーー」と言ったら、珍しくにっこりして頷いた。
しかし、その夏、休暇から帰ると、犬の姿はなかった。「ああ、いない」と、前を通る度に思った。ある日、花を買うついでに、娘さんに聞いてみた。
「死にました。」花束を結わえながら、一言。
心ない事をしてしまった。
花屋の犬が道行く人達の微笑みを誘っていた頃、我が家の猫達も元気だった。

愛されし黒犬ありて純白の八重の椿の鉢置く花屋

雛人形

私の雛人形は、極ささやかな五段飾り。祖母が買ってくれた物という。 童顔の木目込み人形。御内裏様御雛様も、三人官女も皆切り下げ髪。左右の大将まで少年のようである。子供の頃は、他所で、細面に御垂髪のお雛様を見ると、ちょっと羨ましかった。然し、半世紀もの御付き合い。やはり可愛い。おっとりと雅な表情に心が和む。奴の捧げる草履の台の下がとれていたり、ぼんぼりが破けていたり、多少の傷みはあるが、小道具もどうやら揃っている。母から譲られた立雛様も、飾る。これはなかなか麗しいお顔。奈良一刀彫の豆雛様も添える。本当は、もう一対、飾りたい御雛様があった。母の親友、亡くなったA小母さんが作ってくれたお手玉雛。赤い布で、中に詰め物をいれ、小さな達磨さんのように形作り、白いお顔に墨で目鼻がついていた。「おばちゃん、絵が下手だからね、上手に描けなかったの。」と、言っていたけれど、眉を暈し、細く目を引いた淡く優しい顔立ちは、忘れられない。今思うと、小母さんが、好きでよく話してくれた源氏物語絵巻などに似ているのかもしれない。実家の度重なる引っ越しで、何処かに消えてしまったらしい。世界に唯一つのお雛様なのに、申し訳ない事をしてしまった。
巴里の住まいでは、お雛様は、パン捏ね台を改良した棚の上に鎮座していただいている。アルルの民芸館にミレイユの家具と称する一連の調度品があった。M氏の母親は、当時住んでいたボーケールの家具職人を連れて行き、同じような物を一揃い作ってもらった。親方が、小さな手帳に図柄等写し取っているのを、当時六歳だった M氏は、覚えているという。戦前の話である。その内の一つが、このパン捏ね台。割合明るい胡桃材、花籠の模様が彫ってある。
祖国を離れたお雛様だが、何となくしっくり納まっているから不思議である。
御雛様は、早く仕舞わないと、お嫁に行き遅れるーーー。
とはいえ、もう全く関係ないから、後数日は、お側にいていただこう。

『三日月』

黄昏の
西の空
紺の空
白い月

細い月
笑っている
三人官女の
口みたい
Profil

桐の葉も

Author:桐の葉も
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