プッチーニ『トスカ』

「ある晴れた日に」が、最初に聞き覚えたソプラノの歌ならば、「妙なる調和」と「星は光りぬ」は、そのテノール版。オペラ座バスチーユの『トスカ』。今回の演出で何度も上演されているが、観に行く機会がなかった。二つの詠唱を歌うのは、ウルグアイ出身のカルロ=ヴァントル。最近、メキシコ生まれのロランド=ヴィラゾンを初め、中南米の歌手の進出が目覚ましいようだ。このカルロは、第二配役だが、彼を聞いてみようとわざわざ券を買った人もいる。豊かな声量、延々と引き延ばす事ができる。やや繊細さに欠けるきらいはあり、好き嫌いはともかく朗々と声を張り上げる。歌劇界の新風は、南半球から吹いてくるのかもしれない。対するトスカは、イアン=タマル。グルジア出身。私たちの世代には、実際に舞台を観た事がなくてもマリア=カラスの嫉妬深く勝ち気な歌姫の印象が強い。子供の頃、家でとっていた『音楽の友』でも、随分写真を見ている。しかし、ソプラノ一人一人が自分のトスカを作り上げて行くのだろう。今回のプログラムにカラスの写真は、無かった。イアンは、優しく純情ないかにも女らしい歌姫だった。
悪役の極みフランク=フェラリは、いささか迫力不足。マリオが声を張り上げるのだから、スカルピアも低く底力のある声で対抗してほしかった。彼が悪辣で狡猾であればあるほど、(愚かにも見えかねない)恋人同士の悲劇が深まるのだから。
演出衣装ともに、音楽劇を味わうのにふさわしい、それ故にこそ、近頃まれな正統派で、満足。今期観たプッチーニ三作『三面扉絵』『蝶々夫人』『トスカ』のうち、一番好ましかった。
舞台装置も悪くなかったが、バスチーユの空間が大きすぎた。ガルニエの方が、効果的だったろう。どちらにしても大部分の歌劇は、あまり大きな劇場で観る物ではないらしい。
毎回楽しみなプログラム。『トスカ』が、ヴィクトリアン=サルドウの芝居でサラ=ベルナールが、主役を演じたと初めて知った。1987年上演の際の彼女の衣装画や、それを着た舞台写真(ナダール撮影)等、優雅なプルーストの時代を彷彿させて嬉しい。
劇の舞台から丁度90年後のローマ、1890年。サンタンジェロ城やサンタンドレデラ教会とともに、今の喧噪からかけ離れ、閑散としたファルネーズ館前の広場の写真も載っていた。噴水を背に後ろ向きの日傘の婦人、カンカン帽の紳士や馬車、そして白っぽい犬が、日盛りの石畳を横切っている。

噴水の吹き上げ見つめる幼な子のその後のこと知る由もなく


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グリブーユとカネル

五日間だけであったが、二匹の大人猫さんを預かった。グリブーユとカネル。6キロと8キロの巨大猫。それぞれ10歳と8歳というが、あどけないまんまる目にまんまる顔。グリブーユは、やや長毛真っ黒で、以前一緒に暮らした美実ちゃんに似ている。但し雄。カネルは、雉虎猫。二匹の雄猫がくっついてただ一つの籠に入って来た時は、驚いた。血はつながらない弟猫のカネルが、奥のグリブーユの上に半分のしかかって居た。二匹は一緒に居る方が、安心するのだという。いつも一緒だから離れさせたくないと。東南アジアへ転勤する彼と別れ、一人暮らしで猫達とも離れなければいけなくなった若い女性は、私の外猫仲間C夫人の間接的な知人。メールで依頼された時、新しい里親が見つかるまでなら、と答えた。夏休みに田舎の家に行けば、M氏の愛猫フェビウスがいる。神経質でどこかひ弱な彼との同居は、難しいだろう。それでも、住まいを引き払わなければならず、緊急のことなので、と、猫さんたちがやってきた。
最初の晩、カネルは、戸棚の後ろカーテンの陰に隠れたまま、グリブーユは昼からずっと戸の開いた籠の中にいたが、真夜中にやっと出て来た。水は飲まない、食事もしない。生活環境がかわったのだから、当然だろう。フェビウスは三ヶ月間本棚の上に乗ったまま、夜中に本の僅か降りて来ただけ、顔を見ると唸っていた。
翌朝、もう一度飼い主さんに来てもらう。私と飼い主さんは、仲良しだと知ってもらえるように。ものおじしないグリブーユは、その日のうちに側に来て、撫でさせるようになった。おっとり寝台の上でくつろいでいる。毛を梳く事さえできた。恐がりカネルは、夜になってやっと食べ始めた。ちょっとでも私が動くと、また隠れてしまうので、布団の中で身動きもできない。ところが、グリブーユの方は、のしのし。平気で枕元まで来てくれた。亜子ちゃんは、いつも私の身体の上を勢いよく走ってきて、顎の下に身体を入れて寝たいたーーー。
「新しい猫を飼った方がいいですよ、それが供養にもなりますよ」
『犬のいる暮らし』で二代目マホを喪った筆者に、すぐに犬を飼う事を薦めた人も、同じように言っていた。確かに、猫といると、虹の橋を渡った猫たちを思い出す。というよりも、何故か、何か繋がっているものが感じられる。猫は九回、蘇るというがーーー。目に見えないものの存在?確かに、人間の知力も感覚も、実は恐ろしく限られていて、きっと知ることができず、感じられなくても存在するものがあるのだろう。
そんな事を、ぼんやり思いめぐらしながら、グリブーユの堅太りの背中を撫でる。柔らかかった亜子ちゃんとは全く違う。雄猫と雌猫でこれほど違うのかしら。三日目からは、グリブーユを撫でているとカネルもこわごわ側に来るようになった。思い切って撫でるとお腹をだして、ひっくり返ってしまった。
しかし、飼い主さんから電話がきた。巴里郊外で庭付きのアパートに住む一家が引き取ってくれる事になった。すでに三匹いるけれど、皆、仲良く出来ると思うーーーと。フランス人は、余り仔猫でないと、と言わない。確かに大人猫の里親探しは、難しいが、中には寧ろ仔猫よりも落着いているからと、言ってくれる人もいる。
最後の日、カネルの毛を梳いていたら、到着の呼び鈴が鳴った。カネルは、驚いて跳んで隠れてしまった。迎えにきた飼い主さんと二匹は、去って行った。一週間後、まだ難しいけれど、何とか慣れそうです。グリブーユが、まず慣れて、カネルが少しずつ真似をしているみたいですーーーと。
二匹が去った日、飼い主さんが小さな蘭の鉢をくださった。濃い紅。お礼をいわないといけないのは、私の方なのに。亜子ちゃんが召されて以来、どうしても、猫を見ると辛くてたまらなかった。可愛いのに側に寄るのが、躊躇われた。
思い切って猫を抱いて、撫でてよかった。ね、亜子ちゃん。
写真の亜子は、小さな舌をだして縫いぐるみの熊さんの上にいる。

蘭の香や ありとし見えし 星一つ

ヴェルディ『オテロ』

ヴェルディ最晩年の作『オテロ』には、ワーグナーの影響があるのだろうか?次々と高まっては弱まる旋律は、ちょうど、舞台上に何度も映写された浪のうねりに似ている。その為か、『椿姫』や『リゴレット』のように軽く口ずさんで覚えられる歌は、ほとんど無かった。唯一、第四幕で、不吉な予感におびえつつデスデモーナが謳う「柳の歌」。「柳 柳 柳 (Salce, Salce, Salce )という繰り返しが、これも寄せては返す波を思わせて耳に残っている。とはいえ、沙翁の原作に恥じない重厚な歌劇であった。
総練習日。オテロは、アレクサンドリ=アントネンコ、デスデモーナは、久しぶりのルネ=フレミング、イアーゴはルチオ=ガロ。イタリア人マルコ=アルミリアトの指揮の下、それぞれ適役。声の力強さ、美しさ、表現の豊かさを充分発揮してくれた。近頃、心配の種の演出舞台装置等も歌手の妙技を邪魔することなく、海原や炎の表現に映像を利用するなど美的な工夫も施されていた。衣装も綺麗ではあったが、何故時代設定を変えてしまったのか不可解。十五世紀末キプロス島の港町と、時と場所に特殊性のある作品を改変する必要は全く無かった。
『オテロ』は。初めではない。昔、ドミンゴとキリ=テ=カナワ共演を音楽映画や、メトロポリタン劇場で観ている。しかし、馴染みは殆どない作品。今後、また機会があれば、音楽作品として、より一層の魅力をみいだせるかもしれない。
プログラムは、例によって充実していた。巻末の対訳歌詞、作曲者は勿論、作品に関係のある絵画、名歌手名優の写真など、眺めているだけでも楽しい。、ヴェルディが彼女以外にはデスデモーナをかんがえられなかったという美貌の名歌手ローズ=カロン、薄命の美女マリブロン、イアゴの名歌手ヴィクトール=モレル等々、巴里がかつて真の意味で芸術の都だった頃の余韻を伝えてくれる。本文も読み応えがある。特にドミニック=フェルナンデズの「Verdi, poète de la marginalité」は、これからも、彼の他の歌劇を聴く際にも参考になる。
それにしても、ふと思う。妬み、嫉妬、怒り、憎悪。子供の頃、原作を読んだ時にも好きになれなかったが、人間の愚かさ残酷さ、今も昔も変わらないのだろう。

つかの間の 陽射しに透ける 青楓


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号外9 

以下二件、『被災地動物情報ブログ』さんのブログには、可愛い写真もでています。
どうぞ、御覧になってください。よろしく御願いいたします。

1、2011-06-17 21:25:52
神奈川県川崎市で今週末、被災猫の譲渡会

テーマ:【被災地動物】飼い主さん募集
※犬猫救済の輪さんより
http://banbihouse.blog69.fc2.com/blog-entry-2163.html

子猫と被災猫の里親譲渡会!!

6月18日(土)14時~17時
6月19日(日)14時~17時 
TNR日本動物福祉病院内
地図&詳細:
http://inunekokyusainowa.la.coocan.jp/satooyakai.html
※病院への電話問合せは、診療や手術の妨げになりますのでご遠慮ください。


譲渡会に参加するニャンコの写真が見れます。
http://ameblo.jp/kenko323/day-20110616.html
http://ameblo.jp/satooyabora/day-20110616.html


東京&神奈川近郊の方はぜひー☆


(写真はクリックで大きくなります^^)


2、 2011-06-17 13:20:33
「生きた証に」原発敷地内の犬ジョン。
テーマ:見かけました:動物全般
※福島第一原発 たまとジョンさんより
http://ameblo.jp/tama-john/entry-10925991202.html

福島第一原発の敷地内で目撃され、
保護活動が行われた猫のたま&犬のジョン。

たまは無事に犬猫みなしご救援隊さんにほごされましたが、
ジョンは保護される前に車にひかれて亡くなってしまいました。

そのジョンの情報をジョンが生きた証にと、
福島第一原発 たまとジョンさんが写真を公開されています。



他の写真やジョンの詳細も掲載されています。

ブログは転載OKと言うことでしたが、
たまとジョンの保護活動に励まれた
ブログの管理人さんの直々のお言葉、
そしてエールも込めてブログを読んでいただければと思います。
※福島第一原発 たまとジョンさんより
http://ameblo.jp/tama-john/entry-10925991202.html

飼い主さん、ジョンくんは生きて待ってました。
そして飼い主さんに大事にされていたように
最後まで人を信じ、人に大事にされて天に召されました。

ジョン君の生きた姿が飼い主さんに届きますように。

ジョン君のご冥福を心よりお祈りします。』


『26人のエトワール』

再び、東日本大震災救援公演。五月末日、『日本のために、26人のエトワール』公演。舞踏界の名手が、巴里市内北西の多目的大劇場パレ=ド=コングレで催された。開幕前の入り口が壮観であった。先日ナンテールのパリ=オペラ座バレー学校へ『出会』を観に行った時、目の前でみたプラテール校長、舞台で観た時よりも遥かに小さく細く、未だに愛らしいエリザベス=モーラン、かっては贔屓のエトワール、今も優れた指導者ローラン=イレール等。他にもオペラ座関係者が多数来ていたのだろう。第一演目はオペラ座生徒による三組のパ=ド=ドウ、最後から二番目は、先日まさしく『出会』で練習風景を観たイザベルとマチューの『天井桟敷の人々』であった。出演者の中には、ラッカラやアコスタのように長年の馴染みもいれば、独逸で活躍する中村祥子さんのように初めての顔もあった。演目も古典現代を程よく配分。『白鳥の湖』の黒鳥や『眠りの森の美女』『薔薇の精』、採りの『ドン=キショット』等よく知っているものも、『タイス』や『カラヴァッジオ』と知らなかった作品も混じっていて、飽きなかった。バッハなど、比較的落着いた曲が多かったような気もする。
しかし、ある意味で舞台以上に印象に残ったのは、開幕直後に映写された、被災前の海辺の町と壮絶な津波の映像。一体どれほど多くの命がこの浪の底に沈んでしまったのか。「浜辺の歌」が、背後に流れていた。終了後、出演者が皆白いTシャツを着て、花を一輪持って舞台に並んだ。彼らのうち数人が、一人一人、被災地へ向けて書いた言葉が、プログラムの後ろに、載っていた。英語、仏蘭西語、露西亜語。日本を訪れた踊り手が、日本を懐かしく思ってくれているのは、嬉しかった。
そして再び、「浜辺の歌」が、ピアノで演奏された。
以来、気付くと「浜辺の歌」を口ずさんでいる。

朝夕に浪打ち返す砂浜に父の足跡母の呼ぶ声


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