葡萄酒の話 (三)『フィリポット』

F***村周辺は、標高三百メートル内外、葡萄栽培地としては、ほぼ上限にあたる。そのため、収穫の質は一定しない。麓の村々とは、やはり異なる。終戦後政府の方針もあり、葡萄園は縮小した。
イルマの二人の子供達は、教職につき村を離れた。老夫婦の引退後、葡萄園はほとんど手放した。しかし、F***村出身者は、停年に達すると、大概故郷に戻ってくる。イルマの娘も息子も、配偶者とともに帰って来て、未亡人となった母親の側で暮らすようになった。孫も曾孫も、休みとなれば遊びにくる。家族の食する分くらいの葡萄園は残してあった。その一つが『フィリポット』。
村に滞在中、葡萄の収穫に誘われた。
陽の光が踊るような秋晴れの朝、澄んだ青空を、ちぎれ雲が早く流れて行く。
村はずれの緩い斜面では、もう近在の人達が作業を始めていた。周囲を低い灌木に囲まれ、どこかでせせらぎの音もしている。孤立した葡萄園であった。葡萄は日本のような棚作りではない。一本一本、支柱に支えられている。せいぜい一メートル程だろうか。葉陰の一房一房を特殊な鋏で切って行く。有る程度たまると、背負い籠の少年が回って来る。
「喉が、乾いたでしょう。」
少年に促されて運搬用の軽トラックへ。彼は、籠の中身を荷台に空けると、紙コップを手にした腕を、その中にのばした。
「はい、どうぞ」
なみなみと濃い赤紫の液体が。甘く濃厚な香り。日に暖められて、一層芳しい。
荷台の中を見せてもらった。山と積まれた葡萄の重みで、斜めになった隅の方に紅玉色の果汁が溜まっている。
「葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶促馬上
酔臥沙上君莫笑
古来征戦幾人回」(涼州詞)
高校生の時、考古学者になろうと思った。西域に憧れ、絹の道の探検を夢見た。
恐らく母に勧められて読んだ『桜蘭』が、きっかけだったろう。井上靖の一連の西域物から、岩村忍やヘディンなど。漢文の時間、王翰のこの詩を習った時は、授業中あることも忘れて、嬉しかった。
夢は、儚く破れたが、思いがけず、南仏蘭西の山中で飲んだ葡萄の果汁は、酩酊するほど美味しかった。

蜘蛛の巣の 銀の雫や 九月尽


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二つの手紙の束

私には、小さな宝物がある。父母各々から送られてきた手紙の束。二人の別居、父の渡台、私の渡仏、母の度重なる引っ越しと、成人以来一緒に暮らした事はほとんど無い。それぞれ独自の生活をしていたともいえる。
四半世紀前には、メールは存在せず、親達は非コンピューター世代。国際電話は高かった。時間がかかっても郵送だけ。
美術好きの父には、展覧会の度に絵葉書を送った。丁寧に感想や批評を書いて来た。 亡くなる数年前、巴里で行われた楽焼展の図録を送った時は、余程嬉しかったのだろう。便箋三枚びっしりと。 日頃に似ない興奮ぶりで、息を弾ませている様子が彷彿とした。父は、若い頃、まず陶磁器会社に勤めた。釉薬の研究に携わっていた。群青色の発色に成功し、万国博覧会にも出品する予定であったのが、戦争の勃発でかなわなかった。終生机の脇には、目も覚めるように鮮やかな深い青の地に金色の稲穂を描いたその花瓶が、置いてあった。
猫好きの母には、仔猫時代から黒白猫亜子ちゃんと連名で送った。時には、代筆して亜子から「ばあばマミー」へのお手紙となった。母からは、白猫ベ子チンと連名で返事がきた。折々の新聞記事の切り抜きも入っていた。京都の話題、本や音楽、そして、読者の投稿欄などの猫や犬達の話。
行草書を交えた流麗な細字に得意の絵入り、いつも下書きをしたという父の手紙、自由闊達な筆跡で話題も豊富な母の手紙。 ほぼ同時に届いた二通を、見比べて、思わず苦笑したくなる事も。二人が、上手く行かなかったのも仕方なかったかもしれない。
所謂、家庭崩壊。父は既に亡く、母も傘寿を超えて、何も書けない。 二つの手紙の束は、 長所も短所も豊かだった両親が、この世に生を受け、精一杯生きた証し。

風そよぐ蒼き夕暮れ玉章を読み返しをり菩提樹の陰


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葡萄酒の話(二)コルビエール

愛し合う若者との逢瀬を禁じられて、閉じ込められる少女は、物語の中だけかと思っていた。
「部屋に鍵をかけられたのよ。」
M氏の異母姉イルマは、小さな黒目がちの瞳で悪戯っぽく微笑んだ。
九十五歳という年齢にも関わらず、顎の辺りで切りそろえた頭髪の半分ほどは、まだ濃い栗毛。勿論、染めてなどいない。挨拶を交わした頰も、すべすべ。足腰が弱り歩行は困難だが、記憶は確か。
山間の小村で、一生、穏やかに暮らして来たからだろうか。
百人足らずの村人の間でも、イルマは、優しくて誰とでも仲がよいと、評判である。
勿論二十五歳年下のM氏も、子供のように可愛がってもらった。
そのイルマの若い頃の話。
F***村は、スペイン国境近く、ピレネー山脈の手前、コルビエール山地にある。辺りは、異端カタリ派でも知られている。
葡萄畑の続く麓から、滴るような緑の中に入り、地中海地方特有の光を楽しみながら、渓谷を登って行くと、やがて今度は、白く見える程乾いた岩肌と、どこか人を寄せ付けない低い灌木に覆われた緩やかな山並みが開けて来る。土地の人は、ペッチと呼ぶ。冬には雪が積もる。夏には、紺碧の空行く雲さえ、眩しく輝く。
渓流を挟んで、家々が肩を寄せ合うように建っている。
イルマの曾祖父は、村で有数の葡萄園主であった。『丈夫な人』という意の苗字にも関わらず、一人息子もその嫁も、結核で死んでしまった。彼は、未婚の娘とともに葡萄園を営み、葡萄酒を醸造しながら残された三姉妹を育てた。M氏の父親Fと結婚した長女は、女の子一人を産むや、両親と同じ病で早世した。この女の子が、イルマである。
Fは、公務員として都市でくらしていたので、彼女は、F***村で、曾祖父、大叔母(祖父の妹)、二人の叔母に育てられた。
「村一番の金持ちで葡萄園主だったG旦那の、すぐ側の大きな家で育ったのよ。」
19世紀半ばから、本来小麦栽培と牧羊を主としていたこの地方で、葡萄栽培が急に盛んになった。鉄道の発達で、遠隔地までの輸送が可能となったからである。
イルマは、母親から四つの葡萄園を相続していた。その内、特に『フィリポット』は、質のよい葡萄で有名であった。
彼女が年頃になったとき、大叔母達は、村の外の人達と結婚して欲しいと望んでいた。葡萄園経営は、その地にいないといけない。農耕や牧畜のように日々の労働が、必ずしも必要と言うわけではないけれど、常に病気や天候に注意していなければならない。
村を離れて、四つの葡萄園を譲って欲しいと言うのが、彼女達の本音であった。
「勿論、可愛がって育ててくれたのよ。でも、それとこれは、別だったのね。」
ところが、イルマは、村の幼馴染みピエールと恋仲になった。
そこで、閉じ込められてしまった。
「それでーーー?」
ピエールの家も、かなり大きな葡萄園主で、彼は姉一人の惣領息子。結局、結婚までこぎ着けた二人は、30ヘクタールを所有し、村で一、二を争う葡萄園主となった。(「別格G旦那を、除いて、ね。」)
「ピエールさんて、どんな人だったのかしら。」
そっとM氏に、聞いてみる。
「うーん、村の皆のように、真っ赤に陽に焼けて、とても陽気で。イルマは、あれで、随分焼きもちを焼いた事もあったみたいですよ。」
最後に会った時、イルマは、ふと呟いた。
「お祈りは、よくするの、寝室でね。特にピエールのために。」
彼女は、九十八歳で、眠るように亡くなった。

秋の陽に透ける葡萄の一房の碧香りぬ遠き山越え

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天使猫

黒白猫亜子ちゃんが天使猫となってから、そろそろ十一ヶ月が経つ。昨年の今頃は、亜子ちゃんと過ごした最後の夏の終わりとなってしまっていた。
漠然と予測していたのだろうか。わからない。毎日の皮下輸液や薬入りの流動食でも、いつも機嫌良く喉を鳴らし、椅子に飛び乗り、頰に頰を寄せて眠ってくれていた。
巴里に戻った最初の検診の結果は悪かった。それから一ヶ月。高い数値にも関わらず、獣医も意外に思う程見た目の体調はよかった。ふっくらと毛並みも綺麗なまま。しかし、その時は、来た。「後は、甘やかすだけ甘やかしてあげてね」と、看護婦さんに言われた。それから五日後。いつもの一緒に寝ていた寝台で、最後まで私とだけで。それが、唯一の慰めだった。亜子ちゃんは、他の人をうけいれられない猫だった。
虹の橋にも旅立って欲しくなかった。生き返って側にいて欲しかった。
里親を探している猫さんたちも、沢山いるのだから、泣いてばかりいてはいけないとおもいつつ、がらんと静かな部屋にいた。
「流れにまかせた方が、いいのよ」
黒猫トーユーを失ったB夫人が、言ってくれた。
夏の初め、A町に来て、やっと、こちらの獣医に「もし、猫がいるなら。」と、伝えられた。
亜子ちゃんも、まず、この田舎の家で暮らし始めたから。
「大人猫でも」と、付け加えたのは、長年見慣れた、たっぷりした姿を求めていたためだろう。
それでも、心のどこかで、最初の晩から、顎の下にもぐりこんで盛大に喉を鳴らしていた小さな亜子ちゃんを、待っていたのかもしれない。あの三十代の頃のような生活は、もうできないのでは、と不安に思いつつ。
長い長い名前の猫真心子(マココ)ちゃんは、或る朝、庭に現れた。台所の鎧戸を開けたら、灰色の塊が。一瞬逃げようとして立ち止まった。 仔猫でもなし、大人猫としては、小柄だった。 黒白のしっとりした毛触りとは異なり、ふわふわと頼りなく柔らかな毛並。
紆余曲折とまでは言わないが、それこそ流れに任せた結果、二ヶ月経った今、窓辺で眠っている。
毎朝階下に降りるとM氏が尋ねる。「一緒に寝ましたか?」
最初は、隣の部屋に行ってしまっていた。この一ヶ月ほどは、頭の脇で丸くなっている。
「でも、くっついてくれないし。顔も反対向けていたり。まだ布団に中に入って来ないし。」
おまけに五歳という年齢とは、思えない遊び好き。編み棒の先に付けた毛糸玉に、目を爛々と輝かす。飽きずに飛びつき走り回る。
「亜子ちゃんがあの位の頃、まだ仕事をしていたから、あまり遊んであげられなくて、かわいそうだったような気がするの。」
幼馴染みに話したところ、
「でも、亜子ちゃん、もっと、すっとしていたから。」
何となくお行儀のよかった亜子ちゃんとは反対に、今も、遊び疲れたのか、仰向けに、お腹を出している。
それぞれの猫には、ただ一回きりの愛し方しかできないのかもしれない。亜子ちゃんのマンマにしか、なれないから、真心子ちゃんには、マミー(おばあちゃま)となった。
それでも、不思議な事に、この頃、本の少しずつ亜子ちゃんが、真心子ちゃんの中に蘇ってきているような気がする事がある。夜中にふと気がつくと、私の手を抱え込んでいる。病院で点滴をしている間、亜子ちゃんは、私の手に顔を乗せていた。
「これからもずっと側にいてね、真心子ちゃんを守ってあげてね」
朝晩、祈る。熊さんのぬいぐるみに乗った亜子ちゃんの写真は、いつも小さな舌を出している。

ラヴェンダー花柄を刈り取る頃となり朝な朝なの露しげきまで


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葡萄酒の話 (一)プイイ=フュメ

下戸なので、酒精は苦手。葡萄酒も、ごく稀に口をつける程度。
ただ、葡萄酒をめぐる生活文化や自然には、何となく心惹かれる。A町自体は、葡萄の産地ではない。しかし、少し南西にずれるとサン=セールを初めとするロワール葡萄酒の宝庫。また、M氏の父方の親戚も、スペイン国境に近いコルビエール山地の小村で、葡萄園を経営していた。どちらも、ボルドーやブルゴーニュのように著名というのではないかもしれないが、寧ろ親しみやすく懐かしい味わいがある。
そういう葡萄酒の話である。
乾いた春と雨がちの夏の為、今年は、ジアン丘陵の葡萄の収穫が例年になく早かった。週刊地方新聞には、昔ながらの背負い籠に、摘み取ったばかりの葡萄を空ける若者達の笑顔が、色刷り写真で出ていた。焼き物で知られるジアン近郊の葡萄酒は、しばらく途絶えていたのが、復興した。ここ十数年来、少しづつ知られるようになったらしい。地酒と称してよく、巴里への土産にする。
プイイ=フュメにも、通じるところがあるらしい。以前、訪れた葡萄酒醸造所でも、この二種類を作っていた。
「プイイ=フュメには、思い出があります。」と、M氏。
第二次大戦末期、当時M氏一家が住んでいた南仏の都市にも米軍の爆撃があった。そのあおりで、家が破損した。食料も入手できなくなっていたので、M氏と父親は、A町に疎開する事にした。さすが頑健を誇っていた父親も、痩せ細っていた。14歳の少年と66歳の老人である。
中央山地へ電車で入った。抵抗軍と独軍の闘いで橋が不通となり、乗って来た電車も爆破された。四キロほど山の中を歩いて、電車を見つけ次の駅まで。其処からは、十人ほどの仲間と、トラックやバスを利用して、北上した。「抵抗軍とも独逸人とも乗り合わせましたよ。一番恐かったのは、飛行機です。」大好きな父親が空襲で殺されないか、ひたすら心配だったという。
何とかプイイにたどり着いた。久しぶりで旅籠に泊まった。輸送出来ないから食料も豊富。この後、ロワール河を渡って A町まで、また一苦労なのだが、ともかく、人心地がついた。 「父と葡萄酒を、飲みました。」
このM氏の父親の最初の妻、若くして結核で亡くなった女性の実家が、コルビエールの葡萄園の主であった。

水いろとうす紅に染め分けて雲のたなびく遠き朝焼け


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