『ブリューゲル』(土方定一)

中野孝次は、母が教えてくれた。まず愛犬ハラスへの追悼の書『ハラスのいた日々』、次いで,その著書をいろいろ廻してくれた。中の一冊が『ブリューゲルへの旅』。それまで余り関心のなかった十六世紀初めネーデルランドの画家の作品を、改めて見直すようになった。この本を、思い入れが強すぎて、と嫌がった知人もいたが、1925年生、思春期を戦争の最中に過ごした人ならではの感慨が籠るのも理解できる。同年代人の母も、その点に共感したのだろう。しかも、単なる感想だけではなく、作品世界の内部を読み取ろうとする姿勢が、好ましかった。
今回、書棚から取り出したのは、以前入手しておいた土方定一著『ブリューゲル』。専門家によるわかりやすい解説書。図版も多い。
読み始めてから、偶然、映画『ブリューゲル』が、上映されると知った。しかし、脚色された映画を観る前に、まず本を読み終えたかった。
その生年さえも定説のない画家の伝記を、各時代の作品に沿って、出来うる限り克明に辿っている。 特に、作品全般に渡って最も重要な要素、彼の信仰について詳細な考察を加えている。三章に渡って、先行者ボスに言及することにより、当時の社会歴史背景を浮き彫りにしている。特にカール五世、フィリップ二世による旧教側の宗教改革への弾圧は、資料を豊富に使って具体的に示している。その悲惨な状況には、慄然とせざるを得ない。(そして、今も世界各地で続く、宗教の名のもとの戦争———。年の瀬に当たり,来る年の平和を願わずにはいられない。)
手法は、各作品の画像解読。構成、色彩、図象等。
今ある美術品の内、印象だけで観賞出来る作品はそう多くはないように思う。古代中世近世と、膨大な量の絵画は、主題はもちろん細部までも読み解かれるべき一面を持っている。画家が苦労して織り込んだ徴を認める事は、作品に対する礼儀とともに愉しみでもある。
豊富な知識を基にしたこの本の解釈は、興味がつきなかった。特に『ネーデルランドの諺』は、民俗学のようでもあった。

灰色の猫の北窓塞ぎけり


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『法王庁殺人事件』(塩野七生)

毎年暮れの一週間は、静かに過ごす。今年の巴里は、時折細雨が通り過ぎるだけで、比較的暖かな日が続いている。それでも、風邪気味なので、ひきこもりがち。
美術好きの先輩が、『法王庁殺人事件』(塩野七生)を、貸してくれた。
まだ日本に居た頃、同著者の作品に読みふけった。『ルネッサンスの女達』『チェーザレ=ボルジア あるいは優雅なる冷酷』『神の代理人』等。文字通りわくわくして、頁を捲る手も、もどかしかった。その後、暫く遠ざかっていたが、大著『ローマ人の物語』で、再会した。オペラ座バレー団ニコラ=ルリッシュ振付け『カリギュラ』上演の折り、この先輩に『ローマ人の物語』数冊を御貸ししたので、私が好きな事を覚えていてくださったのだろう。
最初、16世紀初めの羅馬を舞台とした推理小説かと思った。絢爛たるルネッサンス末期の史実を背景に、繰り広げられるのは、寧ろ一見恋愛もの。ただし、羅馬はもとより伊太利亜の歴史も地理も知悉した著者ならではの蘊蓄と洞察が、随所にちりばめられている。
ファルネーゼ家パウロ三世治下。羅馬では、古代遺跡発掘が盛んに行われ、ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の壁画を制作中。
カピトールの丘には、マルコス=アウレリウスの騎馬像が、彼の指導のもとに据えられる。この哲人皇帝が、「終わりの始まり」の世に生きたように、華麗に花開いた伊太利亜ルネッサンスにも、暗い影が忍び寄る。「他を排斥してまで守ろうとする狂信」、「他者の存在理由を認めない過激」の時代。
宗教改革と反動宗教改革の紛糾期。物語では、主人公マルコの旧上司枢機卿コンタリーニが、和解策を探ろうとしている。残念ながら、歴史は、それが実らず、益々分裂していったことを示す。「宗教面」では「必然性はあまりない」が、「実は民族の問題」であるから。
マルコが感嘆する注文主と創作家の幸せな関係、当時の羅馬の芸術文化活動の、総てとはいわないが、少なくともその一部には、アルプス北方から搾取した富が、貢献している。しかし一方、法王庁が財力を使いミケランジェロに才能を発揮させる機会を与えたからこそ、『天地創造』を仰いで、マルコが至福の時を過ごしたように、今我々も、その恩恵に預かる事ができる。
『イタリア遺聞』『マキャッヴェリ語録』等を見ると、著者は現実直視と平衡感覚に基づく理性の働きに重きを置いているようだ。それが、この作品に、悲劇であるにもかかわらず、どこか爽やかな風通しのよさを感じさせるのだろう。
ただ「古いものを認識することが、新しいものの創造につながる」———、作中市井の一老人でさえ理解している真実が、現在見失われていないだろうか、著者は警鐘をならしているようにも思える。
エピローグに、ティツィアーノ描くパオロ三世やヴェネツィア元首グリッティの肖像画があると知り、リュクサンブルグ美術館『ティツィアーノ展』の図録を取り出す。見事な白髪を蓄えたパオロ三世が、物語の鍵ともなるアレッサンドロ=ファルネーゼ枢機卿、その弟オッタヴィアに挟まれている絵があった。美しく聡明な女主人公オリンピアを思わせる女性達の姿も多く残されている。
法王庁を脅かすカール五世、反動宗教改革の雄フィリップ二世の想像画も出ていた。
実は、この本は、前日に読み始めた『ブリューゲル』(土方定一)と陰画関係にもある。ブリューゲルは、この物語の数年後、ネーデルランドの民衆の内に活躍した画家であるから。
そういう意味で二重に面白かった。

水あさぎ冬のあしたの空の底光しずかに年も暮れ行く


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樅の樹

八歳くらいだろうか?毛糸の帽子に紺色の外套の男の子が、ちょっとうらめしそうに、自分の背丈より本の少し高い樅の木を眺めている。色とりどりの照明の眩しい花屋の店先には、更に小さな木や、見上げる程大きな木がある。
遅れて来た母親が、店員に聞いている。
「これとあれの中間くらい、もう少し高いのはないのかしら」
丸い筒のような器具を利用して,樅の木を包んでいる青年は、奥に声をかけたが、首を振った。
母子は、何かの都合で、今すぐ決めて持って帰らなければいけないらしい。
通行人も多い街角の日暮れ時。いつまでも観ているわけには行かないので、後にした。本当は、葉に斑が入り出して心配している洋蘭の手入れを、聞こうと立ち寄ったのだけれど。聖誕祭の週末、それどころではないらしい。
樅の木は、買わない。住まいは小さいし、木片に穴を開けて突き刺した樅の木は、すぐに枯れてしまいそうでーーー。
(もっとも、こうして梢を切って整理してしまうのは、元の樹自体には、いいことなのかもしれない。自然の樅の樹は、高くなる。ソーローニュの田舎の家の周辺でさえ、少し低い夜空の星が、その頂に輝いて見える。その割に根が浅く横に張るので、あまり成長しすぎた木は、場所に依っては嵐で根こそぎ倒れてしまっているのも見たから。それとも、一本丸ごと切ってしまうのかしら?)
子供時代は、クリスマス=ツリーを飾った。
最初は、鉢植えで買ったのだろう。 本当に小さかった。 食堂の低い棚の上に乗る程だった。赤ちゃん樅の樹だったのだろう。
毎年、父が庭から掘って来てくれた。庭仕事など苦手な人だったが、子供達のためにと、してくれたのだろう。それに、年中行事の飾り付けは父の仕事であった。こまめに季節の掛け軸など変えていた。母は、「面倒くさいことは、嫌い」。というよりも、恐らく実家の方に,そうした習慣がなかったからだろう。
その代わり苺のショートケーキを作ってくれた。電動泡立て器は、まだないから、総て手動。全卵を泡立てる時は、軽く湯煎にして。「別立の方が、楽だけれど、こうしたほうが美味しいのよ。」生クリームは氷で冷やして。「泡立てすぎると、分離するのよ」などと、注意されながら手伝った。
天使や、蠟燭や、小さな星、雪を被った家や、綿、色とりどりのモールや球を飾って、最後に戴きに銀色の大きな星を飾る。
「とても喜んで、張り合いの良い子だった。」
神経質で気難しくて、何だか可愛げの無い子、と定評だった私が、豆電球の点いた樅の樹を前に、相好を崩してはしゃいだらしい。
ところが、私自身は、本当に楽しかったかといわれるとーーー。
不思議な程、ひやりと冷たい家だった。
まだ二歳くらいで、父と母が口論している時、二人の間に入って、双方の顔を何も言わずに、泣きもせずに、交互に見比べていたという。口論といっても、父は、家では声を荒げる事はなかったから、多分、母が、甲高い声でいいつのるのを、俯いて聞いていたのだろう。その黙りが、益々母をいきり立てる。後年、襲って来た家庭崩壊の前兆であった。
クリスマス=ツリーを飾った頃は、子供の前で喧嘩することは、余程でない限り、まだ避けていた筈である。
それでも、微妙に感じ取っていたという事か。
犬や猫は、飼い主の精神状態を、恐ろしい程鋭敏に感じ取る。(亜子ちゃんの最後の秋に入ってから、もしかしたら私の不安や恐怖が伝わってしまったのではないかと、今も悔やんでいる。)
幼い子供も同じなのだろう。
そのどこか不安定な、どこか偽物の家族が、それでも団欒している。クリスマス=ツリーを飾り、ケーキを食べている。
それを、大事にしたくて、普段よりもはしゃいでいたのかもしれない。
今となっては、自分自身でもわからない。
ただ、大人になっても、幸せな聖誕祭を過ごす子供ばかりではないという思いがふっと、よぎる。物質的というだけではなく、むしろ一見、理想的な家庭に見えても。
あの紺の外套の男の子は、どうしたろう。予定より少し小さめの樅の木でも納得して、飾り付けを終えたろうか?

樅の樹

お隣さん、
失礼します。
僕は、明日
遠くの町に
旅立ちます。

去年の仲間の
ようにですか。

そうです。
町の家で
赤や黄色や青の光にとりまかれ、
冷たくない雪を被り、
遥かな星さえ、
僕の頭を飾ります。

それから、
どうなりますか。

綺麗な飾りは、
箱の中。
枯れた僕は、
家の外。
再生場に
運ばれます。

でも、泣かないでくださいな。
僅か一夜の夢の時
澄んだ大きな幼い瞳に
一生残れるのかもしれません。


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聖誕祭の贈り物

「喜ぶ顔が見たかったから」
贈り物を貰った時,一番嬉しい言葉。
笑顔とともに渡された包みは、水晶のように、雪の結晶のように輝いている。
先日行った『フラ=アンジェリコと光の巨匠展』には、二枚の聖ニコラの絵がでていた。一枚は、嵐にあった船の中で、水夫達と帆柱を支える聖人(ロレンゾ=モナコ)、もう一枚は、彼の生誕、召命、そして三人の貧しい娘達への喜捨(フラ=アンジェリコ)。聖ニコラは、古代晩期、小亜細亜ミールの司教。寛容と善行で知られ、子供、未亡人、弱者の守護聖人。12月初めの子供の祭りから、聖誕祭の贈り物を子供達に持って来るサンタクロースの原型ともなった。実は、子供達も聖ニコラの馬や驢馬に、秣や人参を用意する。仏教にも布施行があるそうだが、こうして贈る喜びを覚えて行くのだろう。
『若草物語』の映画化『マーチン医師の四人娘』の冒頭。金持ちの伯母さんから、聖誕祭のご祝儀を貰った四人は、いそいそと、一年間欲しかった物を買いに行く。リボン、本、絵の具、楽譜。しかし,帰宅して母親の破れた室内履きを見てーーー。より貧しい一家を見舞って戻って来たマーチン夫人は、クリスマス=ツリーの下に娘達からの贈り物を見つける。
M氏も、子供の頃、祖母や両親,伯母さんから贈り物を貰った。潜水艦、鍛冶屋の道具、電動の電車、飛行機。八十二歳の今も、その一つ一つを覚えている。
「いつでも、買ってもらえたわけではないですから。」
戦後、大きくなってからは、勿論貰っていない、と。聖誕祭の贈り物が,子供時代の思い出と、結びつく所以。
それでも、大人になってからの贈り物が嬉しいのは、心が籠っているから。
特に、精神的肉体的に弱っている時、元気を出して下さいね。」の贈り物は、嬉しい。
そして、私も贈りたい。「冬が至れば、春が来ますよ」と。
本当に笑顔を見たい人にだけ、贈り物を準備するのは、実は、贅沢な事なのかもしれない。

ささらめく欅並木の冬の暮れ郊外電車の見知らぬ人々

孫猫真心子は、天使猫亜子ちゃんからの贈り物。大事にします。


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聖誕祭と『第三年代の馬』

聖誕祭を週末に控えて、『第三年代の馬』から、会報が送られて来た。
乗馬教室や観光用に働き、年老いたり怪我をしたりした馬達の多くは、 最後は屠殺場に送られる。
そうした馬達に、安らかな引退先を、と、南仏に設立された協会。会自体の牧場のほか、里親を探して預ける。 会報の馬達は、皆それぞれの過去をもっている。 今では、大事にすれば、三十歳以上生きる馬もいるという。(田舎の家のあるA町の近くに住んでいた小型馬『イカール』は,以前も紹介したように、三十三歳で大往生を遂げた。会には、やはり三十三歳の雌の小型馬の写真が載っていた。)危うい所を救われた馬達が、仲間と寄り添ったり、草を食んだりしている写真を見ると、心が和む。会員からの会費や寄付で成立しているので、資金不足になりがちだが、会長の巻頭語でも、その苦労と報われた時の喜びが、つたわってくる。彼らも、安らかな聖誕祭を迎える事だろう。
数しれぬ泰西名画で、基督は、家畜小屋の秣桶に眠っている。
時には、牛や驢馬も、顔を出している。先日の『フラ=アンジェリコ展』でも、一頭の牛が真正面を向いて膝まづいている絵があった。大きな身体で真面目な顔をしていて、可笑しかった。
聖誕祭が、十二月二十五日に定まったのは、 歴史家アンリ=イレネ=マルー によると、四世紀初め。元来は、冬至の祭りだったという。 夜が一番長くなり,太陽の再生と結びつけられたらしい。この夏、日経新聞に連載された『夜の祈り 十選』を、京都の知人が送ってくれた。その2が、コレッジョ『羊飼いの礼拝(夜)』。幼児基督が、まばゆい光を放っている。その後ろの闇にも、動物の横顔が見えている。光は、常に希望の象徴。
今年は、東北地方の多くの牛や馬、犬や猫、大小さまざまの動物達も災害にあった。彼らを救おうと、日々倦まず弛まず尽力している人達もいる。
小さな命とそれを見守る人々が、少しでも一緒に、幸せな聖誕祭を迎える事ができますように。

星もなき夜空を照らす街灯の色暖かくセーヌ渡りぬ


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