ごめんなさい

こんにちは。
真心子です。
いつもご愛読ありがとうございます。
マミーちゃんに代わって、ごめんんさい、です。
今月は、なかなか更新できませんでした。
真心子は、初めてマミーちゃんのお膝に上手に飛び乗ったし、お天気がよくて、何時も天子猫亜子ちゃんがしていたように窓際で鳩さんをみていたし、和紙の玉に飛び跳ねたし、いろいろ話題を提供したのですが、マミーちゃんは不器用で、駄目ですね。
でも、また、少しずつ戻ってきます。
どうぞ、よろしく御願いいたします。

一年中、春眠不覚暁の真心子より。

『毛糸を繰る少女』(グルーズ)

クリュニー美術館の紡ぎ糸にじゃれる仔猫に会う事ができなかったので、図版で写真をみているうちに、もう一枚の絵を思い出した。
昨年の冬から、編み物好きのブロ友さんたちに送ろうと思いつつ、一年が経ち、今年も春を迎えてしまった。グルーズの『毛糸を繰る少女』。ニューヨーク フリッツ=コレクションで買った絵葉書。木の椅子に腰かけ、頭巾を被った少女が、膝の上の籠の毛糸玉を巻いている。横の卓の上の猫がその糸に手を出そうとしている。まだ仔猫からやっと抜け出たような若い猫らしく、ほっそりとしている。白くて額に茶色と黄色の混ざった班がある。いかにも面白くてたまらないという、悪戯っ子の瞳をしている。グルーズ独特の淡く煙るような乳白色の肌の少女は、眉も薄く眼も一重のようで、素朴で健やかながら、どこか儚く夢見がち。
もう十五年以上前の冬のニューヨークは、意外な暖かさだった。同時に訪れたボストンとともに、 何故かとても静かな落着いた印象がある。はっきりとした縦横の交差路は、網の目状の巴里とは異なり、高層建築の四つ角に立つと、ふと京都の四条烏丸辺りにいるような錯覚を覚えた。セントラル=パーク近くの宿も、阿蘭陀辺りで見掛ける半地下のある煉瓦作り。 自由の女神の公園には、人慣れした栗鼠が沢山いた。
旅先の常で感じやすくなっていたのか、この絵には、すぐに不思議な懐かしさを覚えた。少女の少し放心したよう様子が気にかかる。しかし、この場面から小さな猫がいなくなったら、きっと、もっと不安定で、寂しい事だろう。猫が側にいる、只それだけの事なのに、甘やかな優しい時が、流れている。

黄昏の木夷の花芽に細き雨

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合掌

タマ日和のタマちゃんが、永眠なさいました。いつも毅然と、頑張っていた22歳の美猫さん。
一生懸命生きる事の大切さを教えてくれました。
心からご冥福をお祈りいたします。
(まだの方は、是非タマ日和さんの過去記事も御覧になってくださいね。
とても、励まされます。)

黄色い首輪の猫さん

ふと気付くと、俯せに置いた左手の上に真心子が顎を乗せて眠っている。片手で 抱え込んで顎を乗せている。眠り込んでいるのか、意外と重い。暑くなるほど暖かい。
ああ、よく知っている感触だーーー。
天使猫亜子ちゃんが、一昨年の春、獣医で点滴中、こうして私の手を抱え込んでいた。一人にさせたくなくて、日中一日中付き添った。夜は家に連れ帰った。一人にされると、若い頃には看護婦さんも手をやくほど暴れ回ったり、しょげ返ったりしたのに、一緒にいさえすればおちついていた。亜子は、どんな時でもしっかりと光る目で、見つめてくれていた。点滴でも採血でも、注射針でも、狭い籠の中でも、移動の車や地下鉄のなかでさえ、信頼し切った瞳だった。最後まで、本当に息を引き取るまで、見つめてくれた。
その亜子の暖かみ、重みをおもいださせる。
手が、少ししびれてしまいそうだが、この感触は生きているからこそだ。
先ほど、M氏が、真心子の生家「あっちのおばあちゃん」(前述)に、久しぶりに近況伺いの電話をした。「恐ろしい事があったそうですよ」と報告。
八十四歳の彼女に何かあったのだろうか?
「今朝、向かいの家の猫が車に撥ねられて死んだそうです。まだ若い猫だったのに」。『あっちのおばあちゃん』の家や真心子が住んでいた『ふっくらした婦人』の家と私達の田舎の家の間には、県庁所在地に向かう県道が走っている。日に何十台というトラックが通って行く。これで、何匹目の犠牲だろう。
庭に遊びに来ていた真心子を引き取ったのも、このままでは何時か、交通事故にあってしまうと思ったからだ。 実は、真心子の息子猫も先日、軽く撥ねられたという。今回の若猫も、庭に遊びに来ていた黄色い首輪の猫らしい。「可愛がっていたのにーーー」。 飼い主の若い女性は、一日中泣いていたと言う。よくわかる。
静かな住宅街の家なら、庭で自由に御散歩をさせてあげるのが、猫には一番なのだろうけれどーーー。難しい。 
真心子は、大きく伸びをすると、今度はお腹をだして、後ろ足を広げ、顔だけ前足で隠してしまった。お得意の姿勢。日本人形の一重まぶたを思わせる切れ長の眼。それを細めに開けて、また眠りこんでいく。


一筋の白き雲ゆく春あさみ風も潤みし浅葱の空に

虹の橋に行った黄色い首輪の猫さんと、皆さん仲良く遊んであげて下さいね。(真心子)

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『エルナニ』(ヴェルディ)

これぞ、歌劇という作品を観た。残念ながら、舞台ではない。映画。
数年前から、ニューヨーク=メトロポリタン歌劇場の同時上映が、映画館でおこなわれるようになった。今回は、『エルナニ』(ヴェルディ)。場所は、ル=ジェオードと呼ばれる半球体の建物。360度映し出せるそうだが、前面だけ使用していた。それでも見上げる程大きく、音響効果もよかった。
ヴィクトル=ユーゴーの戯曲『エルナニ』は、 古典派と浪漫派の争いに火をつけたといわれている。
16世紀初めの西班牙を舞台に、四人の主要人物の愛情、嫉妬、復讐、忠誠、野心、信義、騎士道等が、劇的に繰り広げられる。
ヴェルディの歌劇も、劇的。次々名曲が、演奏され歌われる。全曲を聴くのは初めて。マリア=カラスの歌う『Surta è la notte…』をCDで聴いて以来、憧れていた。
何かに、ヴェルディは、男性原理の作曲家と書いてあった。確かに彼は、男性歌手を歌わせる達人。この作品も、独唱、二重唱、三重唱、ソプラノを交えての四重唱と、テノール、バリトン、バスの聴かせどころが続いている。
そして、それを充分に歌いこなす名歌手揃いだった。
正統派ベルカントのマルチェロ=ジョルダーニは、純粋さゆえに自ら不幸を招いてしまう悲劇の主人公エルナニを熱演。愛するエルヴィラとの二重唱は、若々しく甘美。最終幕、不幸な生い立ちをしみじみ歌う場面にはほろりとした。
対する露西亜のバリトン、ドミートリー=フボロストブスキー。彼は、今絶好調なのかもしれない。圧倒的な声量と美声、立派な風采で理想的なドン=カルロ(カルロス五世)だった。全体に動きの多い場面の中、 シャルルマーニの墳墓の前の、 殆ど哲学的といってもいい独唱では、広い舞台を一人で支えていた。
ド=シルヴァは、伊太利亜の名バス フェルッチオ=フルナネット。有る意味で一番の難役かもしれない。幸せの絶頂にある若い二人を死に追いやる張本人。しかし、人生の最後の恋、裏切られた怒り、さらに西班牙きっての名門貴族としての誇りとドン=カルロスへの強いられた服従への隠された憎悪と祖国愛、複雑な性格描写で、どうしても唯の悪人とは思えない。時には、側陰の情さえ催してしまう。 歌唱力演技力とも名人芸であった。他の二人に較べて目立つ独唱も少ないにもかかわらず、深く印象に残った 。
三人に愛されるエルヴィラは、まだ若いソプラノ アンジェラ=メエデ。初めて聴く。素晴らしかった。聴衆からも拍手喝采。玉を転がすような、どこまでも伸びる豊かな声。たっぷりした身体は、豪華な西班牙貴族の娘の衣装がよく似合う。いわゆる美人ではないが、お化粧や髪型で充分可愛らしいし、表情に富み、歌劇に必要な演技力を備えている。そして、なによりもその美声と歌唱力で、どんな美女の役でも納得させる。ふと昔のレナータ==スコットを思い出させた。これから注目しよう。
舞台装置、演出ともに時代考証に忠実。 イベリア半島の西班牙とアラゴン王家の両立、 西班牙語も話せなかったドン=カルロスが、母親の血筋で西班牙王となり、やがて神聖ローマ帝国の皇帝となる。筋の運びの要であるこの歴史背景の理解を台詞とともに、助ける舞台装置衣装だった。特に衣装は、 金羊毛、兵士の武器等細部まで、 ヴェロネーズやベラスケスの絵を見ているよう。宮中の貴族も山中の盗賊も一人一人違う細やかさ。
いつかこの舞台をそのまま、バスチーユで観てみたい。

宵闇に橙色の街灯の灯り頼りに初めての道


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