雉猫カリーナ(二)

旧水族館の復興工事が始まり、猫たちは、柵に囲まれた安全地帯から、美術館沿いの芝生へと移らざるを得なくなった。幸い近くに勤めるG夫人が、率先してなかなか立派な木製の箱を沢山作らせてくれた。 カリーナは、いつも一番居心地のいい箱で寝ていた。 どちらかといえばお寝坊さんで、昼に行っても姿が見えず心配していると、ゆっくり伸びをして出て来る事もあった。 雪の日、そうっと蓋を開けて、毛布や羽布団に埋まった小さな猫の寝顔をみるとほっとした。
温かな陽射しを浴びて、膝の上で「小さなパン屋さん」をするカリーナ。腕の中に抱え込まれて、傘に入って一緒に雨脚を見ていたカリーナ。帰り際には、おいかけてきてじっと見送ってくれたカリーナ。家猫になるべく生まれて来たとしか思えないほどなつっこいカリーナ。H夫人を初め、皆に可愛がられていた小さなカリーナ。
いつまでたっても小柄で敏捷だから、若く見られた。
「いくつですか?」
「十七歳かしら」
よその人は、誰も、信じなかった。私も実感がわかなかった。
しかし、トロカデロの古参の猫達が段々減って来た時、カリーナを見掛けないと不安になった。ある日突然消えてしまったら、誰もしらない所で,苦しんで死んでしまったらーーー。
寒い夜が続いた。亜子ちゃんと寝ていても、ふと箱の中で丸くなって寝ているカリーナをおもいだした。ある冬の夕暮れ、持って行った籠にカリーナは、あっけない程簡単に、自分から入った。

紅の椿備前の花入れに挿しわずらひて午後静か

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雉猫カリーナ

亡父の誕生日は、カリーナの祥月命日に当たる。もとトロカデロ公園の外猫、一番の甘えたで、いつも膝の上に乗りたがった。いわゆる鯖虎、他の猫達に比べて遥かに小柄でふっくらしていた。横丸の顔に切れ長の瞳。何時までも若く幼く見えた。
外猫達がまだ旧水族館の跡に住んでいた頃からの古参の一匹。動物愛護協会から捨てられたと聞いた。当時、木立に囲まれた旧水族館の湿ったコンクリートの廃墟を、動物好きの老婦人達が、藁や新聞紙、古布なので、精一杯暖かく清潔にしようと努力していた。中でもH婦人は、辺りを帚で掃き清め、箱を消毒し、古布を陽に干していた。私も手伝いに入ったが、ちょっと腰かけるやカリーナが、いそいそ側に来て、すぐに膝に昇ってしまった。H夫人は、にこにこ笑って、
「ほーら、カリーナは、もう動かないわよ」
いつも綺麗に赤褐色に染めた髪の毛を結い上げ、エプロンをしていた小太りのH婦人は若く見えたが、実は、70歳近かったのかもしれない。
初夏には青葉を、秋には黄葉を透かして晴れ渡る空を見上げ、H婦人は、ゆっくり腰をのばしていた。
その頃、猫達は30匹以上いた。初期には、仔猫が生まれてしまったらしいが、幸い動物愛護同好会として交渉した獣医の協力を得て、総て去勢する事ができた。カリーナも母猫とはならないままだった。

雪国の思い出語ることもなく父逝き今朝は異国の風花

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石榴(三)

(承前)
それから二十年程後に母が、若い愛人を作った時、父は「私の本当の妻は、やはりS一人だった」と、呟いたそうだ。諦め切ったように、背を丸め俯く父と、その横顔を見つめ、ひきつったように唇を震わせる母と。見たわけでもないのに髣髴とする。
父が、Y一家と過ごした短い青春の日々に見ていた石榴の花を、塀越しに母も見ていた。二人の住まいは、ごく近かったから。当時、母は漠然と「T先生」に憧れていたという。
ところが私自身は、実際の石榴の花を見ていないどころか、どんな姿なのかも知らない。書棚から「おりおりの花」(湯浅浩史著)を、取り出す。白く縁取られた朱色の縮れた花弁、黄色い雄蕊、華やかな明るい花だ。西班牙の町グラナダ(石榴)には、その名の通り石榴の並木道が多数あるという。抜けるように青い南国の空に、この花が咲き満ちている姿は、想像するだけでも眼が眩むようだ。その美しさを讃えた名曲『グラナダ』の第一行も、石榴の花盛りを歌っている。西班牙出身の歌手達、かつてのホセ=カレラスなどの舞台では、前奏の一節だけで聴衆がわいた。母の大好きな曲だった。
久しぶりに聴いてみようか。
亡父の誕生日に当たる今朝の巴里は、相変らず雪げに曇っているけれどーーー。

窓辺より猫の降り来て霙めく

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石榴(二)

(承前)

晩年は、やせ細っていた父も、若い頃は、ふっくらと時代劇の役者風の容貌で、通りかかると、女学校の生徒達が窓から見ていたと言う。私の覚えている頃でも、山田寺の仏頭や歌舞伎の松本白鴎に似ていた。
下宿先のY家には、働き者のお内儀さんと、娘のSさん、その弟。かなり横柄なご主人だったから、物静かで穏やかな父は、一層「にいさん、にいさん」と、慕われたらしい。そのまま、9歳年下の妹のようなSさんと結婚した。
「後から聞くとお母様(父の母)は、嫌がったそうよ。何だか婿養子のようで、大切な一人息子を取られるようなきがしたのでしょうね。」と、母。
親孝行の父ではあったが、神経質で病弱な実の母親よりも、朗らかで拘らないY夫人の側の方が恐らく、気楽だったのだろう。
それは、男女一組とも家同士とも違う、既に出来上がっている一家にすんなり溶けこんでいく婚姻だった。両親が不仲で冷たい家庭を嘆いていた父は、何よりも家族の団欒に憧れていたらしい。
そのY家の庭に、大きな石榴の樹があった。塀越しに枝がみえるほど立派な樹であった。 他では、見掛けない珍しい樹であった。 花盛りには人目を奪った。
しかし、Sさんは二十歳そこそこで脊椎カリエスとなった。父は、寝たきりの新妻の枕元を綺麗に片付け、暑い日には団扇で仰いでやってから、焼け跡の研究所に通っていた。「Sさんは、幸せだ」と、女学校の仲間達は噂した。Sさんは、まもなく逝った。色黒で丸顔、丸い眼、太い三つ編みのあどけない写真が残っている。

ゆりかもめ見してふ声に老い遠し

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石榴

渡仏して来て、初めて食べるようになった果物の一つ、石榴。冬の一時期、青物屋の店頭を彩る。山と積まれた林檎や蜜柑よりも、多少値が張る。詰め物をした箱に行儀よく並んでいる。拳大で、黄色と赤が斑になった固い表皮に覆われている。一見無骨だが、中には鮮やかな紅の透明な小さな種が詰まっている。ルビーのように繊細で美しい。甘酸っぱく爽やかな果汁が一杯。
「花も綺麗なのよ」
と、国際電話の向こうの母。
「T先生の下宿したお家にあったのよ」
母が、T先生と呼ぶのは亡くなった父の事だ。それも、多くは結婚前の思い出を語る時だ。私が生まれてからの父の事を話す時には、『おとうちゃん』が通常だから。小さな地方都市、一つしかない大学研究所に勤めていた父には、これも一つしかない女学校に通う妹がいた。彼女と母の五つ上の姉が同級生だった。
「お友達だったの」
「ううん、Kさんは、あんなおしゃべり、恐がってちかよらなかったみたいよ」
後にピアノの教師となったK叔母は、猫好きで、静かな線の細い人だったらしい。人が善くて、いつもちょっと首を突き出すようにして、ひたすら楽しそうにおしゃべりしていた母の姉をあきれて眺めていたのだろう。同じ級に、父やの下宿先の娘Sさんもいた。

黒々し辛夷の枝先芽吹きそめ冬の夕暮れ雨の静けさ

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