お雛様

そろそろお雛様を仕舞わなければいけない。
二月末から、南仏のパン捏ね器を模した古い家具の上に飾ってある。早く飾って、早く片付けないとお嫁に行き遅れるというけれど。私は、もう関係ない。孫猫真心子ちゃんも、実は孫娘もいる祖母猫。このまま旧の節句にしてもいいようなものだが、桜便りも聴こえて来た。
私のお雛様は、小さい。五段飾り。元は硝子の箱に入っていた。半世紀程まえの所謂団地サイズ。お人形さんは、ぷっくら豊頰で目尻も下がり気味。童顔だ。子供の頃は他所でみる面長、切れ長な瞳、お垂髪の美人のお雛様が羨ましかったが、いまでは、この機嫌のいい顔をしたおかっぱ頭のお雛様達が大好きだ。
私が生まれた頃、両親は公務員住宅に住んでいた。地方の大学教員だから、収入もかぎられていた。俗事には恬淡としていた父と、裕福だが無趣味な実家に批判的だった母との生活は、質素でつましいものだったらしい。お雛様は、当時の余香である。その後、暮らしは派手になっていったけれど、あの三部屋しかない、狭い庭に栴檀の大木が茂っていた古い木造平屋の静かな懐かしさは、消えてしまった。
三月初めに遊びにきた知人が、お雛様を見て、歓声をあげた。「実家に置いてある私のお雛様とそっくり。」と。同年輩だからだろうか。「見れば見る程似ているわ。同じお店のかしら?」その一言で、まだそれほど深く知らない彼女が親しく思われた。
さて、お雛様を仕舞おうと、あらためて見て仰天した。仕丁の一人の頭がない。首からころりと落ちてなくなってしまっている。そういえば、先ほど、真心子が何か転がして飛び跳ねている音がしていた。歴代猫で、こんな事をした者はいない。
「真心子ちゃん、何処にやってしまったの?」
例のお腹をだして仰向けに寝ている。
部屋の隅の何処か転がっているに違いない仕丁の丸い顔は、あきれてにこにこ笑っていることだろう。

夕まぐれ 風の底より 雛の笛

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サル=プレイエル

サル=プレイエルの来年度の説明会に招待された。
舞台上で解説したオペラ座と異なり、二階の広間の窓際に席が設けてあった。テレビでも見覚えのある穏やかな笑顔の青年司会者が、進行係を務めた。総監督や指揮者、合唱団指揮者などが、交互に語り、最後に参会者の中から三問質疑応答。全体が4部に分かれて、ほぼ半日。
珈琲や御茶もあり、全体に親近感を抱かせる工夫がされていた。 サル=プレイエルは、ピアノを初めとする諸楽器の独奏会や、室内楽等、また巴里管弦楽団、ラジオ仏蘭西管弦楽団の定期公演の場として、音楽愛好家には、馴染み深い演奏会場である。先年、大規模な改築工事を終え、音響効果も改善され、舞台の後部にも客席が設置された。指揮者の顔が見えると、知人が喜んでいた。
オペラ座やシャンゼリゼ劇場と異なり、純粋の音楽会場。(歌劇は、演奏会形式のみ)。その気取りの無さと、凱旋門からほど近く、而もシャンゼリゼ大通りの賑わいを離れた落着いた環境のため、週の間でも、多くの人が、仕事の後などに音楽を楽しめる場となっていた。
そのサル=プレイエルが、変質してしまうらしい。一年半後には、クラッシック音楽は、シテ=ド=ラ=ミュージックの演奏会場に移ってしまい、現会場は、ジャズや軽音楽専門になるという。
集まった常連の関心は、2013−2014年度の演奏内容よりも、そちらに行っているようだった。 そこに、一種の不安と焦燥を感じたのは、私だけだろうか?
巴里北東の新会場は、遠すぎるという意見には、車で十五分から二十五分という返事。しかし、誰もが車で移動するわけではない。あちらでは、週の間は無理でも、「土曜日や日曜日に子供と一日楽しんで貰える音楽企画がある」との事。「何だか大人の音楽会でなくて、家族連れ向きになってしまうのね」と、独身の知人が呟いた。国際的な音楽家を呼ぶためにも好条件が、必要だそうだが,仏蘭西国内の有望な新人を育て、聴衆に親しんでもらうことも大事だろうにーーー。
何となく首を傾げたくなる情況の中で、間に挟まれた巴里管弦楽団員による演奏は、至福の一時だった。モーツアルト『オーボエと弦楽四重奏』もベートーヴェンの 弦楽四重奏 もヨかったが、特に二曲目ドヴォルザークの 『アメリカ』。遠い故国ボヘミアの渺々たる草原を吹く風を偲んでいるとしか思えなかった。
この人達の演奏を、もうこれまでのように聞く事ができなくなってしまうーーー。ふと楽団員達は、今度の変革をどう受け止めているのか、聞いてみたくなった。
音楽の世界で本当に重要なのは、名曲を残してくれた作曲家と、それを今に聞かせてくれる演奏家なのだからーーー。

桜咲く白く小さく夕闇に紛れてかしこの柵の内にも

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一重の赤い椿

二月末、馴染みの花屋さんに寄った。手土産用の切り花を選んでから、ふと横を見ると、店の外の隅の壁際に椿の鉢植えが一鉢だけあった。田舎の家の庭に一本欲しいと思っていたが、冬を超すまで巴里の狭い住まいに置いておかねばばらない。花屋でみかけるどの株も、大抵かなり大きいので迷っていた。これは、丈一尺程。花は咲いていない。小さな固い蕾が、幾つかついている。
「それは、まけておきますよ。もう売り物にならないから。」
と、まだ若いご主人。
雨に打たれ、蕾が全部傷んでしまったそうだ。そういえば、茶色く斑点が出ている。立春を過ぎてから一頃、まるで春時雨とでも言いたい程、毎夕のように驟雨が、襲ってきていた。一瞬のうちに辺りが暗くなり、白い雨脚が幄のようだった。
「勿論、また伸びてきますよ。でも、それまで置いておけないから。」
有り難く購入して、陽のよくあたる浴室の窓際に置いた。
蕾は膨らむ事もなく、次々と落ちてしまった。ただ一輪だけ花が咲いた。赤い一重だった。御茶の友人達が来る日まで持つかと思ったが,前夜、落ちた。
一週間ほど後、新しい蕾は結ばないまま、枝先に葉の芽が生まれた。硬く閉じている間は、黄緑色。すこし広がって来ると、淡いえび茶色を帯びる。それからゆっくりゆっくり開いてきて、中央に新しい枝も伸びて来る。まだ一様に緑とならず、うーんと、伸びをしているかのような幼い葉は、触るとすべすべしている。久しぶりに煌めく昼の陽を透かしている。
「冬が長過ぎましたね。」
人々は、挨拶代わりに言っている。
「これで春になるといいですね。」
先ほどよく見ると、もう一つの葉の芽もほころび始めていた。

春待つや幼子のごとくひたすらに

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黒犬と老女

春分も過ぎた。日本では、桜が見頃間近らしいが、巴里は春寒。彼岸桜の一種だろうか。ほの白く小さな花が、ちらほら、曇り空に紛れている。
しかし、日は長くなった。夕刻プールの猫さんたちに会いにいこうと、聖母被昇天通りに出る。脚を早めて黒い犬と老女を追い越した。犬はよろけるではないが、ちょっと足もとが危ない.思わず振り返った。ふさふさとした尾に比べて,痛々しい程細い脚。顎髭のような口の回りの毛は,白くなっている。「優しそうな犬ですね」
「とっても、優しいの。本当に優しいの」老女は、皺のよった顔を、一層くしゃくしゃにして笑った。「捨て犬だったの。」 少し乱れた白髪、 陽に焼けているのか,地肌なのか、駱駝色の顔と同じ色の、上等だがやや古びた外套。裏皮の長靴も少しくたびれている。 足下の犬は尾を振って彼女を見上げている。その頭を撫でながら、笑顔を崩さずに言う。「人間は、善くないね。捨てなくても、ね。今まで十一匹飼ったけれど,皆捨て犬。」「この子は,幾つくらいかしら」「施設の札には五歳とあったけれど、もっといってるわね」「ええ。でも、この子は、貴女と巡り会えて本当に幸せですよ。」日本語では、ちょっと不自然に聴こえるかもしれないが、仏蘭西語では、この表現が一番ふさわしい。皺を一層深くして、彼女は笑った。
公園に散歩に行くという犬と彼女と別れる。
プールの無人官舎の庭は、紫の花におおわれていた。何処にいたのか。黒白の娘猫が駆けて来た。 今月初めの大雪で、プールまで来るのが大変だなどと思って,申し訳なかった。
3月7日付け、巴里の日本人向け無料新聞『ニュース=ダイジェスト』に福島に置き去りにされた動物達と彼らを救おうとする人々の特集が出ていた。表紙の太田康介氏撮影の黄色い猫は、浪江町のショッピングセンターでやせ細りミイラ化された姿で見つかった。飯館村でつながれたままで、ボランチアとして散歩に連れて行ってくれる佐々木ちはるさんにしがみつく人恋しいマック等 。その陰には、捨てたくて置き去りにしたのではない飼い主達の辛さも偲ばれる。
仮設住宅へ家族の一員としての動物同伴入居が許されていれば、避ける事のできた残虐な死も多かった筈なのにーーー。

主なき庭の垣根の根元にも紫の花二匹の猫と

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ロンロン療法

仏蘭西語では、猫が喉を鳴らすゴロゴロは、ロンロン。このロは、Rの方でLではない。日本人の苦労するどこかこすっているような音。仏蘭西人にとって、RとLは明らかに別の音。区別できないなど想像できないらしいが、私は、未だにはっきり聞き分けられないし、発音できない。
その『ロンロン』療法が、健康雑誌に出ていた。猫のロンロンは、短いけれど強い幸福ホルモンを出すそうだ。嬉しい時は勿論、辛い時にもそれを癒す為に出す。そのため、猫の方が犬よりも傷口の治りが早いと言う。
このホルモンは、聞いている人にも効果があるらしい。
認知症患者や末期癌患者、知的障害者などにも、動物との接触が善い結果をもたらすという『動物療法』が、少しずつだけれど紹介されるようになった。
人間は、動物の言葉がわからないだけで、実は動物にはまだまだ人間には伺い知れない、優れた能力があるのだろう。生きている、ただそれだけでも命の尊さを教えてくれる。
孫猫真心子ちゃんは、最高のロンロン療法士。抱き上げれば、すぐに喉をならして、頭を押し付けて来る。今も、コンピューターの前にいれば、肩に前足をかけて、盛大に喉を鳴らし始めた。

ゆるやかな猫の寝息やお中日

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