プールの猫さんたち 秋雨

巴里は、急に寒くなった。冬時間に変更するまで、まだ一週間もあるというのに、朝いつまでも暗いのは、雨がちの曇り空のためである。冷たい霧雨が、道路をぬらしている。プールへ向かう広場のマロニエの並木は、あらかた葉を落とし尽くし,周囲の建物の管理人達が、それぞれ門前を掃き清めては、樹々の根元に堆く寄せている。丸い小さな実がそこここに落ちている。孫猫真心子ちゃんの恰好の遊び道具。頭を低くし、尻を高くあげ、尾をせわしなく振って飛びかかっては転がしている。
こういう天気の時、以前はプールの猫さんたちが、どうしてるかと、心配だった。しかし,今は,安心している。
「あのチビ猫は、頭がいいよ。朝、プールの下の機械室におりていくと、鉢合わせするんだ」
従業員の一人が教えてくれた。どこか小さな隙間から、入って行くらしい。
「あそこなら暖かいからね」
母猫も何処か暖かい場所をみつけているのだろう。
そして,誰かしらが、餌を与えてくれるらしい。
勿論、空腹で跳んで来る事もある。しかし、満腹らしくただすり寄ってくるだけのこともある。
新しく官舎に入った一家とも、母娘猫のおかげで笑顔で挨拶を交わすようになった。
ところで,この官舎の通路の両脇に沿って、沢山の白粉花が植えてある。一度、種を御願いしてみようかと思っている。田舎の家の庭に白粉花を咲かせてみたい。

秋ついりソナチネの音もこもりをり

絞りの羽織

或る年齢に達した頃から、母はよく羽織姿で外出していた。三寸帯を貝の口に締め、派手な着物には地味な羽織、渋めの着物には華やかな羽織と、年相応に組み合わせを変えながら。お太鼓の帯つきが、重たくなったからと言っていた。しかし,羽織姿には、何かなよやかな独特の魅力がある。蕗谷虹二や中原淳一の少女達、竹久夢二の娘達、鏑木清方や上村松園の女達に通じる懐かしさといってもいいかもしれない。十数枚の羽織はみな巴里に持って来た。
先日,ある映画の撮影に必要かもしれないということで、濃い紫の総絞りの羽織を貸した。母の羽織が映画の画面に出るのかと、ちょっと不思議な気がした。結局、脚本の都合で使用されなかったが、衣装係の人も、その繊細な美しさに感嘆してくれたという。畳紙に仕舞乍ら、ふと思い出した。
母から初めて羽織の紐の結び方を教えて貰った時、上手くできなくて何度もくり返した。あれは、何歳の時だったのだろう。
 耳元に猫の寝息の秋小寒

小さな宝物

夏休みの間、田舎の家に持って行っていた装身具を元の箱に収める。宝石箱ではない。「赤毛のアン」の時代を思わせる女の子達の絵が付いている桃色のクッキーの空き箱三個と、箱根寄せ木細工の三段重ねの文箱(これは、父の遺品)。中には
和菓子の空き箱、天鵞絨の宝石用の器、フランス人の友人のくれた小鳥の絵のピルケース、台湾製の絹の綿入りの袋等々が、入っている。それらに、一つずつ、または数個一緒に仕舞っておく。
所謂高価な宝石は、一つもない。ただ、その一つ一つに思い出がある。
例えば、指輪。面長な顔に似合わぬ骨太な手を恥ずかしがっていた母は、指輪はほとんど嵌めなかった。ただ自分の好きな色の紫水晶の大きめな指輪と,濃い緑の翡翠の指輪を持っていた。翡翠の指輪は,伯父が最初の海外出張で香港で求めて祖母に贈ったものを、伯父に可愛がられた母が遺品として貰い、私に譲ってくれた。小太りの印象の強い祖母であるが、明治の女らしく骨細だったのだろう。右手のお姉さん指に、ちょっときついくらいである。母は、多分嵌めることはなかったようだが、お守りのように大事にしていた。
珊瑚の首飾りやブローチは,台湾に勤めていた頃の父のお土産。還暦を越えての単身赴任だったが、父にとっては、第二の故郷だったらしい。
昔の恋人からの熊さんのブローチ。出世した年下の友人からのクリスタルの首飾り。 長年の猫友さんからの銀色の猫のピアス等々。
中でも気に入っているのは、子どもの頃母が買ってくれた猫のペンダント。60年代風なのだろう。赤い水玉の洋服をきてリボンをつけたお洒落な金色の猫。大きな眼が悪戯っぽい。恐らく、最初のアクセサリーだと思う。
過去がこういう形で残っている。長い間に贈られてきた物を眺めていると、その時々、自分がどんな印象を与えていたのか、ちょっと想像できるような気がする。そして、掌に乗せて眺めていると、時を経たもののみのもつひっそりとした暖かみが伝わって来るように思える。

黄昏れの中行くバスの車窓より遥かに見下ろすセーヌ川波


昔のヴィデオ

我が家には、フランス人の友人から貰ったヴィデオ=デッキが,未だ健在。
秋雨の午後、昔のヴィデオを取り出した。渡仏して間もない頃、まだ元気だった母は、三ヶ月に一回ほどは、当時巴里では手に入りにくかった乾物や新聞の切り抜き、本と一緒にヴィデオカセットを送って来た。オペラやお能、歌舞伎、宝塚、美術・自然関係の番組等。私が好みそうなものを撰んで、というよりも、母の好きなものはほとんど私の好きなものだった。性格は正反対なくらいなのにーーー。
 今日は、まず『スペードの女王』1992年マリンスキー劇場での録画。今では、世界的指揮者ゲルギリエフが,弱冠39歳、黒髪がふさふさしている。サンペテルスブルグでの録画を初めて許された時で、総て露西亜系の歌手は知らない名前ばかりだったが、今聞いても皆美声である。華麗な舞台装置、衣装、バレーを含めた演出、すべてプーシキンの原作の世界をそのまま再現している。それが、含蓄の深い歌詞、うねるような旋律、柔らかい露西亜語の発音と、総て相まって芳醇な一時を作り出す。最後、リーズの幻に語りかける場面では、涙がでてしまった。(バスチーユ=オペラ座の精神病院版とは、大きな違いである)。
ついで、井上八千代さんの「米寿の舞」の特集。馴染みの京都祇園。大好きな地歌舞「雪」。今回ふと気付いたのは、八千代さんの着物の着方である。襟元を深く合わせ、後ろはほとんど抜かず、なで肩の儘、胸元にもゆったり皺ができている。帯の手も、少しななめにずれている。最近の皺一つないまでにぴんと張った、どこか不自然な着方に較べて、なんとなよやかで楽そうなことだろう。一生着物ですごした祖母や 、外出は常に着物だった母の着方を思い出させる。私自身、「着物は、纏うように着る」と教えられていた。
23年前、母の録画してくれたヴィデオを観ていると、そのまま時がとまってしまっているような気がする。

遠き日に母の愛せし菊菱の着物我にも派手となりぬる

プールの猫さん達 十月

巴里に戻って早速、プールの猫さんたちに会いにいった、
夏休み中、三回程戻って来たが,その度に柵が仕舞っていた。「工事につき閉鎖、再開時期は未定」。案内板を前に呆然としていると、その度に偶然、誰かしらが奥から出て来て、入れてくれた。
「猫に会いにきたの、さっき迄いたよ」と。
御陰で毎回娘猫に会えた。異例の暑さをどう凌いでいるかと、思ったら、風の通る木陰の高い草叢の蔭で丸くなっていた。寝台のように跡がついていた。
特に、二度目は幸い 三軒ある官舎のうち、一番プールに近い端に住む事になった 新しい管理人に出逢えた。前から顔見知りの従業員。お菓子と猫の餌を預けると、快く引き受けてくれた。
プールは、再開し、柵は大きく開いている。
戻って来てからは、会いに行く度に母猫が駆け寄ってきてくれる。ニャーニャーとしゃがれた声でなきながら、すり寄ってくる。骨が少し触るくらい痩せた雉虎猫。避妊手術をするまで、何匹も仔猫を生んだのだから。
駐車場の横、芝生の一角、大きな松の木陰で餌をやる。
皿から顔をあげずに、一生懸命食べている。
松の梢が、影をくっきりと地面に落としている。娘猫が寝ていた叢は枯れ始めている。辺りには白い小さな花が咲いている。
芝生に腰を卸していると、秋の午後の陽射しは少し暑いくらいだ。
食べ終えた母猫が再び傍に来て、脚や背中にすり寄って来た。

老犬と老女どんぐり落ちる道
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桐の葉も

Author:桐の葉も
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