A小母さんと歌舞伎

11月23日は、A小母さんの祥月命日。
「勤労感謝の日に亡くなるなんて、本当に Aさんらしい。」
国際電話の向こうで、母は呟いた。
働き詰めの一生だった。その小母さんの楽しみは、歌舞伎。
師走に入ると、京都は顔見世で賑わう。生きていたなら、きっと喜んで観に来た事だろう。
33回忌も、とっくに過ぎた小母さんの事を書いた反故が出て来た。二十年ほど前の記事なので、役者の名前は当時のままである。

『帰国する度に一度は、上京して歌舞伎を観る。今回は、清元志寿太夫で「権八小紫」孝玉コンビの「助六」で昼夜連続。一日中舞台を堪能したわけだが、本当に楽しかった。
思えば、私の歌舞伎好きは、今は亡きA小母さんの影響かもしれない。彼女は、母の女学校時代の同級生。もっとも病のため遅れており、四つ程年上だったそうだ。その事を、級友達にからかわれたこともあった、と聞く。早くに父親を亡くし、身障児の寮母として働き、母親や弟妹を養っていた。
新婚間もない母が、
「毎日、食べて行くのにお金がいると、初めて気がついたわ。」
と、話したところ
「私は、小学生の頃から、毎日母親と米櫃の中を覗いて、明日の心配をしていたのよ。」
と、笑ったそうだ。
しかし、その合間に華道の師匠となり、「源氏物語」を初め、古典に親しみ、まだ観光客も疎らな京都奈良、さらには室生吉野まで仏像を訪ね歩き、能や歌舞伎を愛する趣味人でもあった。
仕事が休みの日には、地味な着物に薄い髪をひっつめに結って、遊びに来ていた。その体つき同様、細く長い肉のない手で、せっせと編み棒を動かし,御茶を飲みながらの話は、
「菊五郎がーーー、松緑はーーー、政岡はーーー、八つ橋がーーー」
梨園の人々も、忠義を尽くす武士も、簪が重たげなお姫様も、白波の渡世人も、吉原の花魁も、皆身近に感じられたものだ。 子供の頃、我が家に毎年飾られていた役者絵の暦は、 A小母さんからだった。
そういえば、何時であったか、その一枚を見ながら、
「阿古屋は、三つの楽器を舞台で演奏しなければならないから、大変なのよ。」
と説明されて以来、一度本物を舞台で、と願っている夢は、まだ果たしていない。私が,日本舞踊を習い始めたのも、大きくなったら舞子さんや芸者さんにと、幼い心に一時憧れたのも、長唄や踊りの事を話す A小母さんが、実に楽しそうだったからかもしれない。
特に歌右衛門丈が、贔屓で、こう書くと丈に失礼になりそうだが、顔立ちまで似て見えるほど。誠実を絵に描いたような人だったから、優艶で、しかも気迫のこもった丈の舞台を心底から好いていた。今回「相生獅子」を華麗に舞った児太郎を観たら,どれほど喜んだことだろう。
生涯独身、曲がったことが大嫌いな性格のため、現実には辛い事も多く、余計夢を与えてくれる舞台を愛していた気持ちが、今になると一層よくわかる。
その容姿同様、ややもすれば剛直に見られながら、心の奥底には、柔らかな懐かしいものが、秘められていたのだろう。
「わたしのような暮らしをしている者が、生意気と言われるかもしれないけれど、ただ、働いて食べて寝ているだけの生活では,何か空しい気がするの。乾いてしまうように思えるの。」
母に、真顔で語ったそうだ。
私が,これほど歌舞伎好きになる事も知らず、とうとう一度も一緒に舞台を観る機会もなく、 A小母さんは十八年前、五十歳にも満たぬ若さで、癌で逝ってしまった。今は巴里暮らしのため,思う存分というわけにはいかぬが、芝居を観る度に A小母さんを思い出す。そして、いつか形見の黒真珠の小さな簪を挿して、阿古屋を観たいと思う。』

紅葉はや散りはてぬらむ深山路を独り歩める旅人の影


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