A小母さんと織物


「A小母さんの夢だったのよ。」
ふっと、水底から小さな泡が一つ浮き上がって来るように、母が呟いた。
先日、日本祭に行ったおり求めた、東北大震災の避難所で八十歳の翁の手になると言う織物の話。
国際電話の向こうの母の顔は、わからない。最近疲れやすくなっているようだから、軽く目を閉じているのかもしれない。母も八十を越えている。
着物好きの私達母娘は、染織や織物に関心がある。昔、母は半襟を染めていた。化学染料であったが、ごく薄く茜色や樺色、碧に染めた布が、藤の絡まる露台の物干で、風に翻っていた。
「中年過ぎると、真っ白い襟元は、顔がきつく見えすぎるみたいでねーーー。」
自他ともに美人を認めていた母が、そんな事をいうのも珍しく可笑しかった。
私がまだ母と京都に住んでいた頃、二人で古代の植物染料を再現した展覧会に行った事は、忘れてしまっている。それなのに、三十年以上も前に亡くなった A小母さんの思い出は、記憶を手繰るというのではない、寧ろ暗く静かな水面に小さな泡は一つ、また一つと浮き上がってくるように語り続ける。
「田舎の方の狭い家に機を置いてね、先生に習っていたのよ」
A小母さんは、母の女学校時代からの親友。生涯独身で聾唖学校の寮母をしていたから、薄給の身で機が買えるようになったのは、お華の先生をして副収入があるようになった最晩年だろう。生来器用で手芸が好きだった。特に細くきっちり編んだレース編が得意だったから、経(たていと)と緯(よこいと)が、正確に交差する織物に惹かれたのかもしれない。
「本当に好きだったのよ」
鶴のように痩せた小母さんが,細い脚や腕を規則正しく動かして、カッタンカッタン、織っている様子が目に浮かぶ。『鶴の恩返し』は、悲しすぎて嫌いだが、小母さんも、生涯あまり可愛がってくれなかった実母や弟妹に貢ぎ続けていた。
「まだまだ、やりたいことはあったのにーーー。」
五十歳にも満たなかった。胃癌だった。
生真面目で曲がった事が大嫌い。少し頑固で、しかし、心の底まで誠実で、他の人を労っては、自分が苦労を背負っていた。そういう人は、何故早く逝ってしまうのだろう。
「あんなに優しい人はいなかった。」
小母さんの話は、いつも此処におちつく。
「生きていたら、今頃、私のための着物を沢山、織ってくれたかもしれないわね」
故意に明るく言ってみる。
「そうね」
母の声は、小さい。多分、目を閉じているのだろう。黙って泣いているのかもしれない。

さみどりの辛夷の若葉に白き花散り残りてや春雨の朝

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