プールの蝙蝠さん

「見たこと無いなんて、そんな筈ないで。蝙蝠を。」
友人は、丸い目を益々丸くして言った。いつもの一寸甘やかすような、からかうような調子で。
「夕方なってから、ひらひらひらひら、よく飛んでいるだろう。」
「燕みたいに。」
「いや、もっと速く。」
始まりも終わりも覚えていない会話だけれど、多分、私は、納得しないままだったと思う。大学へ通ってくるのに、電車を二回も乗り換えるような他県の山中の新興住宅地に住んでいるのだから、あの辺りには、沢山いるのかもしれないけれどーーー。というのも、蝙蝠は烏くらいの大きさだろうと、漠然と想像していたからだ。丁度、家の前の池で鳴いている牛蛙が、柴犬ほどだろうと、思っていたように。
しかし、いつの間にか、黄昏時から数羽群れて飛ぶ雀ほどの不思議な生き物を、「ああ、蝙蝠。」と、思うようになった。陽が落ちて、裾の方だけ茜色に染まり、寂しいほど澄んだ蒼が次第に濃くなる空に、影だけのように素早く動く姿は、幻めいて美しくさえあった。
その蝙蝠が、プールに来た。A町外れの公営屋内プールは、森の緑をそのまま残した広い公園の一角にある。朝十一時、人も少なく、快調に泳いでいたら、突然キーキーっと、鋭い声が聞こえてきた。また、去年の『プールの小鳥さん』(前述)のように迷い鳥が、入ってきたのかと、泳ぎをやめて天井を見上げる。上下にせわしなく、停まろうともせずに飛び回っている。
「小鳥」
「いや、蝙蝠だ、蝙蝠だ」
と、誰かが言っている。
「マミー(おばあちゃん)、恐い」
ふっくらした頰の十歳くらいの女の子が、隣の初老の婦人にすがりついた。
「恐がらなくてもいいのよ。」
女の子によく似た婦人は、にっこり笑っている。
「蝙蝠は、何も悪さをしないのよ。昔は、皆、いろいろ間違ったことを言っていただけなのよ。黒猫とかもね。ねえ、そうでしょう。」
と、婦人は横にいた私に振り向いた。ちょうど、自然科学の雑誌で、蝙蝠の特集を読んだばかりなので、この不当に嫌われていた、実は、なかなか愛嬌さえある小動物の名誉回復に自信を持って、頷く事ができた。
「それに、中国や韓国では、蝙蝠は幸福の象徴なのですよ。」
と、これは以前ギメ美術館でみた『韓国文房具美術展』で、覚えたことだ。
「中国語では、蝙蝠と幸福と同じ発音なのだそうです。だから、いろいろな工芸美術に使われていますよ。」
「あら、いい事を聞いた。」
と、婦人。
「娘が一人、田舎で暮らしていて、夜は窓を開けて眠るの。そうすると蝙蝠がきて、娘夫婦は、蝙蝠と同じ部屋で寝ているの。幸せと一緒なのね。」
女の子も婦人の腕に手をかけて、頰をくっつけて嬉しそうに笑っている。こういうおばあさんがいる子供は、きっと動物にも優しい善い子に育つだろう。
さて、蝙蝠は、と見上げたら、もう居なくなっていた。プールの女館長が、一泳ぎするのか、水着姿で、通りかかったので聞いてみる。
「出て行ったみたい、扉を全部開けたから。でも、なんで今頃———。きっと寝ぼけていたのね。何処か、暗い所で、また寝ているわよ。」
時には三千メートル泳ぐという元気な館長は、陽焼けした顔で笑った。
そういえば、今朝は、雲一つ見られない程快晴の真夏日だ。

もののかげくきやかな真昼白樺の幹は真白に梢そよぎぬ


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