大人猫さん その一 ブブール

ブブールの吉報が届いた。
嘗ては、三十匹程、十年前でも十数匹いたトロカデロ公園の外猫達の、ほぼ最後の一匹。
「おでぶちゃん」の名の通り、丸々太った黒い雌猫。十三、四歳位だろうか。大変な恐がりで、知らない人が来るとすぐに生け垣の下に隠れてしまうが、慣れると大きなお腹を見せて寝転がり、ごろごろ喉を鳴らす。食べる事が、大好きで、他の猫のお皿にも遠慮無しに顔を突っ込む。大人しく、実は寂しがり屋。仲間の身体の上にのしかかるようにして寝ている事も屢々だった。
今年の三月、懸案だったブブールの捕獲を手伝った。
その日は、日頃餌を遣りにきていて、ブブールがとても懐いているR老嬢と待ち合わせた。亜子ちゃんの発病以来、日常の活動には、加わっていなかったのでブブールと会うのは、久しぶり。食べ物に釣られて来た黒猫を籠に入れた。此の一瞬は、いつも信頼を裏切っているようで、心が痛む。
ブブールは、巴里から会員の一人の母親と伯母さんが住むS市へと旅たった。スペインとの国境近く、風光明媚な海辺の保養地である。
それから、半年。
既に、二匹もトロカデロの老猫を引き取り、最後まで看取って下さった二人の老婦人の家だから、安心はしていたが、ブブールの方は、なかなかなつかなかった。他の犬や猫を怖がって、昼間は寝台の下から出てこないという。(但し、人が居ないときは、布団の真ん中で寝ていたそうだがーーー。)幸い、よく食べる。勿論、清潔。(何故だろう。どの外猫も躾で困った事はない。)
それでも、いつまでも怯えていては、ブブールも可哀想だからと、別の会員の家を試してみようと、巴里に連れ戻す予定だった日———。
捕まるまいと、隠れ場所から出て来て、逃げ回ったブブールは、その日から急に態度を変えた。陽の燦々と当たる窓辺で横になり、他の猫とも砂場を共有するようになった。
少しずつ、自分から側にも来て、甘えるようになった。
半年かかった。
これでブブールも、幸せな余生を二人の母親と、暖かな土地で送る事ができる。

黒猫に 海よりの風 秋日和

菩提樹荘

A町の端近くにある田舎の家は、 表からみると絵本『小さなおうち』に似ている。 私は密かに『菩提樹荘』とか『科の木荘』と呼んでいる。裏庭に回ると、中央に ティユール tilleul の大木が、聳えているから。 もっとも、菩提樹といっても、お釈迦様がその下で悟りを開かれた印度の菩提樹とは、別種。また、正確には、西洋科の木で、日本の科の木とも異なる。
家が建造された時、既に在ったという。 樹齢百三十歳程、 樹高約十六メートル。屋根より高く枝を張り、傘のように陰を作っている。
小鳥の天国である。
数年前、 幹に出来たこぶの上に、黒鶇が巣を作った。地上から2メートルもない。
こんな危険な所に居を構えるなんて、まだ若い夫婦鳥では、ないかしら。猫も狙うし、蛇にでも襲われたらーーー。
庭は、近所の猫達の溜まり場。また、実際に、蛇を観た事は無いが、昔、M氏の伯母の猫が蛇と大格闘をした、という話を聞いて以来、どうしても蛇が幹を這い昇って行く姿が、頭から離れない。
丁度窓から見える位置なので、毎日眺めていた。こちらの心配を他所に、黒鶇の夫婦は卵を産み、ついにある日、雛の鳴き声が聞こえた。鳥の親は、実に熱心に餌を運ぶものだと、感心した。今度は、巣立つまで、またしてもハラハラする。三羽いた雛の内、遅れていた最後の一羽が、親の後に飛び立つのを、見る事ができた。
空になった巣は、造化の妙としかいいようがない。小枝や落葉や羽毛や苔を組み合わせ、正確な半円形。見事に、居心地よさそうであった。
しかし、さすがに鳥の若夫婦も考えたのか、以来再び、そこに巣がかかったことは無い。
「甘い、いい香りでしたよ。」
夏休みに巴里から戻って来て、庭で夕涼みをしていると、散歩の途中の人達が声をかけてくれる。
菩提樹の花の盛りは、短い。初夏、一週間程の間、ごく小さな白い花が咲く。辺り一面に芳香が漂い、蜜蜂が集まるーーーそうである。というのは、その時期、田舎の家に居る事は滅多にないので。
実は、巴里にも菩提樹の並木があるのだが、梢が高いのと車の排気ガスとで、香りを聞いたことがない。
「どうぞ、遠慮なさらないで、御採りになってくださいね。」と、私。菩提樹の花と羽のような苞の部分は、乾すと薬用飲料となる。
いつか作ってみたいと、思いつつできないでいる。
その菩提樹の葉が、小雨まじりの冷たい風にささらめくようになると 、田舎の暮らしともお別れである。

夜の雨葉擦れの音とも聞きわかで闇にめざめぬ休暇の終わり

モーリス親方とフィフィ

聖マルタン教会の工事には、領内は勿論、近在の石工達が、皆動員された。
A町から、やや離れた村に住むモーリス親方も例外ではない。年は取っていても腕のよさと、信心深さでは、知られている。
「ありがたいこっちゃ、こんな素晴らしい仕事の仲間にいれてもらえるなんて。」
唯一つの問題は、犬のフィフィ。御内儀さんが亡くなって一人暮らしの親方。かなり年老いた雌犬を置いて行くのは、どうも気がかり。
「まあ、いいさ、お前も来るかい。」
毎朝、親方とフィフィは、教会の作業場へと通った。大人しくて賢いフィフィは、仲間の石工達にも可愛がられていた。
ところが、ある日、そろそろ柱頭の飾りも完成という頃、神父様が見回りに来た。手を後ろに組んだ老神父様。
「おやおや、モーリスさん、これは、困りますよ。済まぬが、犬は教会に入れないで、おくれでないかね。」
モーリス親方は、驚いた。
「へえ。」
その日以来、フィフィは、教会の扉の外に坐って、親方が仕事を終えるのを待つ事になった。
しかし、ある晩、いつものように老犬と一緒に帰る道すがら、空を見上げて、親方は考えた。
「この空一杯の御星様と同じように、フィフィも神様が作ってくださったものだ。神様の御家は、この空よりも広いという。きっとフィフィも入れて下さる。」
そして、本当にフィフィは、聖マルタン教会の中にいるのです。今も、いつまでも。
皆さん、もしA町にいらっしゃることがあったら、どうぞ、祭壇に向かって左側、大オルガンから二本目の柱頭の脇を御覧になってください。
フィフィが、顔を出していますよ。

満天の星今一つ流れゆく夢の狭間に秋深まりて


後記、
長年、夏をA町ですごしながら、フィフィの存在には気がつかなかった。昨年、『夜の歴史散歩』に参加し、初めて知った。それぞれの時代の衣装を身に着けた有志が、町の名所を説明して歩く。聖マルタン教会もその一つ。修道士の扮装をした教区役員の懐中電灯に照らし出された小さな犬の頭の彫像には、息を呑んだ。モーリス親方も、勿論、石切鑿を手に登場した。

富者と貧者ラザロ

寂しい事に、福音書の中で、譬え話以外に動物の出てくる場面は少ない。
猫は出てこない。
A町滞在最後の日曜日の聖書朗読は、『富者と貧者ラザロ』
「而して、犬ども来りて其の腫物を舐めり」
唯一行だけで他の描写はない。複数形だから、数匹いるのだろう。唸りも噛みもしないようだから、友好的なのではなかろうか。総ての人から見捨てられたラザロを犬達だけが慰めていると思いたい。
これから寒い間、巴里の街角には、浮浪者と一緒の犬が、至る所で見られる。
シェパードやボクサーのような大型犬もいれば、主人の懐から顔だけ出しているペキニーズのような小型犬もいる。
ピキちゃんは、目の丸い小さな雑種。生後一ヶ月程の小犬のときから、ルーマニア人の浮浪者とよく遊んでいた。シベリアンハスキーのヴェロニカは、漫画の上手な若者と一緒だったが、ある日悪い物を食べて死んでしまった。 老犬フランソワーズは、ほとんど目が見えない。 それでも、酒瓶を片手に鼾をかいて寝ている老主人を守るかに、人が近づくとよろよろ立ち上がった。最後に見かけたのは、コンコルドの駅だった。
何年も前から、いつも新聞や本を読んでいる主人の側で静かに坐っているパッシー通りの黒いラブラドール。幾つになるのだろう。
自分は寒さに震えながらも、「伴侶ですよ」と、雌犬を毛布でくるんでいたラ=ミュエットの痩せた男。
いつも膝に抱えていたボビーを動物愛護協会に連れていかれてしまったと、拙いフランス語で訴える青年。「僕には犬を飼う資格はないって。幸せにできないから。」
勿論、アル中で、普段可愛がっている自分の犬にさえ乱暴を働く人もいる筈だ。犬同士闘わせて楽しむ輩も、いるだろう。
公共の浮浪者の宿泊所もあるが、犬を連れては入れない。犬同士が喧嘩するからという。「こいつと別れるなんて、できないよ。」外で寝る方を選んで出て行く人も多い。
真冬は、零下何度。不良達に乱暴され殺される事もある。

教会を出る時、モーリス親方の犬に、来年までお別れの御挨拶。このフィフィもラザロの腫瘍を舐めてくれた犬達の子孫かもしれない。

鐘楼の鐘の響きも鎮みゆく秋霖含みて雲低き空

美しい城

 降りず降らずみ、時には薄ら陽のさす日曜日の午後、ソーローニュへ向かった。ある城を見たくなったから。
 今回は、周辺部を辿らず、内部に進む。
 道の両脇は、針葉樹林。赤松や杉の梢が、曇り空を指している。疎林では、植えたばかりの若木の緑が、辺りの沈んだ色合いに映えている。
 ヒースは、盛りを過ぎ、淡紫からさらに薄い褐色。花叢が重なり合い、波のようにうねりながら、林の奥へ奥へと続いている。
 雑木林の中、脱皮を終えた白樺の幹は、遠目にも白い。夥しい羊歯は、渋い黄色。思いがけず、蔦が既に赤く染まっていた。
 針葉樹林と雑木林とを繰り返し、小村を越えると、道に沿った木立の切れ目の奥に、 忽然、目指す城が現れた。
 美しい。
 車から降り、木陰の流れに掛かった小さな橋を渡った。白い塗料の幾分色あせた鉄柵の門が、固くしまっている。門の内には、更に城を巡る幅広い掘がある。暗い色の水を湛えている。もう一度、白い鉄柵があり、門には太い鎖が絡まっている。
 城は、赤煉瓦作り粘岩板葺き。ルイ十三世風。左右対称。両翼の先に四角い塔が付いている。向かって左の翼の一部が柱廊となっている。整然と並んだ四角い窓の鎧戸は、皆閉じてある。やや閉まりの悪い戸もあるようだ。急勾配の高い屋根の一部には、苔が生えている。
古さびつつ端正な、気持ちのいい城である。
 十五世紀に基礎が置かれ、十六世紀にルネッサンスの影響を受け、十七世紀に現在の形となってからは、修復こそ施すものの、ほとんど改築を加えずに維持してきたらしい。日本で言えば、江戸時代初期の姿を留めている。
 第一次大戦前夜、一人の若者が城主夫人に会いに来た。巴里に遊んでいた放蕩息子。出征命令を受け、母親に別れを告げに来たのである。この話は、当時城の門番をしていた男が、A村に引退しM氏の両親に語ったそうである。
 他にも多く人の世の浮沈を、観て来たのであろうが、城は黙して語らない。
 毅然と立っている。
 実は、写真機を携えていたのだが、途中ヒースの花の野を写して、電池が切れてしまった。これは、これで、良かったのかもしれない。

 水鳥の発つ音さえもつかのまに後はしじまの森のたそがれ

 亜子ちゃんの一言
「お城のお堀にいた二羽の鴨さん、狩人の鉄砲に撃たれないで下さいね」
Profil

桐の葉も

Author:桐の葉も
Bienvenu à FC2 Blog !

Derniers articles
Archives mensuelles
Catégories
Recherche
Lien